悠々自適にメモ帳開いて。


どうも、金音ニトロです。日常だったり、
非日常だったり取るに足らない事を、
気が向いたらそこはかとなく更新します。
珈琲でも一気飲みしながらまったりとご覧ください

このブログの目次

このブログは、旅と宇宙が好きな人間が、日常や非日常を書き記していたブログです。



表示 - 非営利 4.0 国際

写真や音楽やプログラムや文章などを二次利用される場合は、クレジットの表記があり、また非営利であれば何してくれたって構いません。但し、充分な良心を持っていることが前提です。

執筆している宇宙記事はこちらから→


旅行記事や趣味の話などは細かくカテゴライズしてありますので、右に設置してあります「カテゴリー」からお選びください。




以下、オススメ記事

京都旅行記事(全10話)

出雲大社参拝記事(全10話)

遠野旅行記事(全9話)

井川探訪記事(全9話)

その他単発記事たち。(短編集)

宇宙ヤバイch advancedで投稿した動画。

このページは、金音ニトロが投稿した動画をまとめたページです。


実は、ひそかに動画作っています。
某チャンネルのサポーターとして色々動画ネタやネタのソースなどを提供したりしていますが、実はセカンドチャンネル的なところで、表舞台に上がらないような、地味ーな要素を持った天体を扱った動画を作っています。
800px-Cc-by-nc_icon.svg
※動画内にBY-SAのコンテンツが使用されている場合はBY-NC-SAとなりますのでご注意をば。



yabai_kakou
↑画像クリックで再生リストに飛べます

これまでに取り扱ってきた天体について、軽く紹介します(天体名をクリックすると、その動画に飛べます)。本記事の最後に再生リストもありますのでそちらもご確認ください




●は本編(n分でわかる宇宙ヤバイ)
■はショート動画(ひとくち宇宙)となっています。

チュリュモフゲラシメンコ彗星
 太陽からの距離によって色が変わる彗星。ある種速報的な動画です。

シュワスマンワハマン第1彗星
 明るくなるメカニズムが一般的な彗星と違う、とても奇妙な彗星です。

ネソ
 「最果て」の「最果て」を公転する、最果ての衛星です。

SEGUE2
 とてつもなく小さい銀河。どれくらいのサイズかと言いますと、これくらい。

M40
 メシエ天体として、最も異端な天体と言えばこいつら。

テーブルさん座
 最も「覇気がない」星座と言えば、おそらくこの星座。都会からは絶対に見えない。

プシケ
 誕生した経緯が謎に包まれている、金属小惑星。

東京
 日本で最初に発見された小惑星。しかし、それは正確には発見ではなかった。

とけい座イオタ星
 生まれた瞬間に村八分にされた、ちょっと可哀想な天体です。

コートハンガー星団
 コートハンガー星団は実は星団ではないようだ。

アレシボメッセージ
 M13に住むエイリアンに送った、人類の叡智の到達点。

カシオペヤ座A
 300年前に爆発した最強の天体、しかし300年前に見た人は。

テミスト
 なんの変哲もない ちいさな衛星が、大革命を起こす物語。

バタフライ星雲
 灼熱の蝶。死に際が最も美しいとはこのことだろうか。

2020 AV2
 現在最も内側を公転する小惑星。超不安定な軌道。

2000 SG344
 人工物なのか?天然の小惑星なのか?謎に包まれた地球近傍天体。

M102
 メシエが書き記しているが、未だ発見されていない唯一のメシエ天体。

ヤヌス
 75年にも亘ってかくれんぼを繰り返した、幻の衛星。

シフレオ彗星
 偶然見つかった、怪我の功名とはまさに。

ビエラ彗星
 大流星群の1年前に、大災害を起こしたとされる彗星。なぜなのか。

うさぎ座R星
 うさぎの目が赤い理由。

FSR1758
 Ω星団を凌駕する星団なのに、きわめて見えない。

グリーゼ581g
 かつて最も宇宙人が期待されていた星の、最も悲惨な結末。

HD 400121(四月馬鹿)
 極めて異端児は、ウランで輝いている。別名「チェレンコフの星」

おおいぬ座VY星
 かつての巨大な恒星は、今どうなってしまったのか?

アルタイルへの手紙
 系外惑星が見つかる前の時代、宇宙人に向けて送られたもう一つのメッセージ。

鉄の星
 とある条件がそろうと、最終的にすべてこれになるらしい。

ファエトン
 毎秒小惑星だったり彗星だったりする謎天体。

プシビルスキ星
 宇宙人が希土類を大量に捨てた、という俗説が存在する普通の恒星。

2010 TK7
 地球に追いかけまわされる小惑星、地球のトロヤ天体。

ヴェリタス
 800万年前に爆誕したばかりの最も新しい

ジュリエット
 天王星の衛星同士とフレンドリファイアして400万年後に消滅する天体。

エレクトラ
 小惑星最多となる、3つの衛星を持つ唯一の小惑星。

ヘルクリーナ
 最初に衛星が「発見」された小惑星。しかし、それは発見ではなかった。。

カリクロー
 小惑星で ほぼ唯一環を持ったり、数百万年後に消滅したりする天体。

MOA-2015-BLG-337 b
 太陽系外衛星の候補のひとつ。「惑星」の周りをまわってれば衛星だよね(暴論)




yabai_kakou
↑画像クリックで再生リストに飛べます




と言うことで、宇宙ヤバイAdvancedも併せてよろしくお願いします。

おひさしぶりです。

皆様おひさしぶりです。金音ニトロです。超しばらくぶりにブログを書いています。長文の書き方をすっかり忘れてしまいました。

このブログは基本ほったらかし、思い出したかのように更新、になるかと思います。というのも、詳しい内容は伏せますが、かつてのように気軽にどこかへ行くだけの時間と気力がない(正確にはそれよりも優先すべきことがたくさん増えてしまった。)ゆえに、特にこれと言って書くことも無くなってしまった、というのが現状です。ようは去年の4月から生活環境が変わって、ずっと放置してたわけです。。

ツイッターでは相変わらず馬鹿な事言ってるので、生存の確認はそちらでお願いします。
また、ようつべも相変わらず動画投稿しているので、そちらもどうぞ。

で、旅行らしい旅行と言えば、日帰りで常陸出雲大社&天引観音を弾丸したのと、袋田の滝を弾丸した程度ですね。どちらもあまり写真は撮影していない、というより点(註)しか撮影していないので、線を文章化する俺のブログスタイルとは合わない、ので、ブログにできるほどではないです。
(註:旅行とは、あらかじめ定められた観光地やパッケージを楽しむ「点」の旅行ではなく、行き帰りや二点間の移動、更にはクソどうでもいいような「点」を見出す行為をも楽しむ「線」としての旅行だと思ってる。)


あと、ツイッターの固定を見てもらえれば分かると思いますが、天文宇宙検定2級を取りました。だからどうしたという話なのですが、なけなしの自尊心を維持するための紙切れだと思っていただけるとありがたいです。


まあそんなところで。いきておりますんで。ひとまずは無味乾燥な文章を侍らせて1年ぶりのブログとします。

聖地巡礼をしに高千穂へ行ってきた。その5(荒立神社)

どうも、金音ニトロです。


DSC07245

中途半端に時間が余ったので、観光マップに取り上げられていた落立神社をみにいきます。事前情報によると、伊弉諾が祭神の、身体健康を賜れるかんさびた雰囲気で、良い神社とのこと。

だいたい800メートル程度坂を上るだけなので、まあいい運動にはなるでしょう。

DSC07246
と思った矢先のこれ。見事に工事中で、ものすごい迂回をさせられる羽目に。
これによって、片道2キロほど伸びました。冗談抜きでとんでもない迂回だ。とはいっても、地元民はほとんど車を利用すると思われるので、然したるデメリットでもないのでしょうか。

しかたがないのでおとなしく引き返します。

DSC07247
棚田。どこにでもある普通の棚田ですが、椎葉村から高千穂にかけての一帯の棚田が美しいという事で、2015年に世界農業遺産に認定されている美景のようです。

DSC07248

DSC07250
ちょうどいいところにバス停があったので、そこでバスを待ちます。山にのぼるバスが1本、山からくだるバスが2本。すくねえ。とはいえ、延岡から高千穂から岩戸から土呂久方面と、何回も乗り継いでいく必要があるので、ますます人が少ないのか・・・。
ですが。1日1往復半のバスがいい感じの時間に来るのを事前に知っていたので、ふもとに戻るついでにそのバスを乗り鉄します。ちなみに本来で有れば乗れないバスです。というのはどういう意味かというと。西村京太郎。ではなく。


DSC07249
先の迂回路のせいで、バスも迂回を強要されているため、ここ落立神社の最寄りバス停では何と35分も普段よりも遅い時間になっています。なお、本来であれば数分の乗り継ぎで高千穂行のバスに乗り継げるようになっているようです。

DSC07251
来ました。やはりというか80条バスでした。こういうバスに巡り合えるのはワクワクします。
ところで、多くの方はご存知かと思いますが[要出典]、80条バスとは、公共の福祉のためにやむを得ない場合に、国交省の認可を受けて白バスを運行できる、と言うものです。そのコミュニティバス(80条バス)の運行にはある程度の基準があり、その一つにこれを下回ると補助金が出なくなる、と言うものがあります。それが


【地域間幹線系統】
① 複数市町村にまたがるもの
② 1日当たりの計画運行回数が3回以上のもの
③ 輸送量が15人~150人/日と見込まれるもの

【地域間幹線系統】
イ.路線再編により、従来の補助対象系統を基幹系統と支線系統に分ける場合の再編後の系統
⇒ ・ ①及び③の要件の適用除外
⇒ ・支線系統における小型車両(乗車定員7~10人)の補助対象化
ロ.イ.の対象となる系統以外の系統
⇒ ・③の要件の緩和(最低輸送量:3人/日)


なのですが。なのですが。

DSC07252
どういうこっちゃねん。誰も乗っとらんやんけ。大丈夫かいな・・・。

DSC07258
ふもとに戻ってきて1時間ほど暇なので、近くの交流センターとその迎えの飯屋で時間をつぶします。
1日しか時間がないのに、時間を余らすとは此は如何に。

ちょうどひな祭り期間中であったので、三月人形が飾られていました。大正時代の古い人形のようです。

DSC07261
立派な7段飾り。どこに誰が座っているのかすっかり忘れてしまってました。こういう知識を持ち込んでいればもっと楽しく鑑賞できたんだろうなあと。

DSC07265
周囲の竹にも人形(なぜかピカチュウとかドラえもんとかもいました)が安置されていたのですが、無を安置しているものを発見。もとは何を飾ってあったのだろう。初めから無だったのかな。それとも我々には無に見えるだけで、ほんとうは何かが安置されていて、世界の神々やナイアーラトテップのような高次元の存在だけが鑑賞可能なのでしょうか?

なんとか1時間潰して、バスを乗り継いでふもとに戻り、荒立神社に向かいます。

DSC07271
荒立神社は、初代踊り子のアメノウズメと、天孫降臨の案内人であるサルタヒコが結婚した際に、この地に建立したとされている神社です。ちなみにこの鳥居から伸びる参道と並行するように高千穂線の廃線跡が通っていて、時間があえばトロッコがとことこ走っていくのを観測できます。5分ほど張っていたのですが、残念ながら来ず。

DSC07273
その拝殿。雰囲気は抜群に良いですが、なにやら中がおかしいことになってます。

DSC07275
何故かエタノール含有飲料が大量に奉納されていました。彼らがのん兵衛なのかは定かではないですが、それにしても謎です。一応、ニニギの結婚相手であるコノハナサクヤの親であるオオヤマツミが酒の神とも言われていますが、しかしアメノウズメとサルタヒコと酒の関係が良く分からぬ。もしくは友達の友達の友達みたいな関係ならもはや同一人物という事なのでしょうか?あまりにも乱暴すぎるし、アメノウズメかサルタヒコのどちらかが酒豪だったという事なのでしょう。

お賽銭と二礼二拍一礼をして、荒立神社をあとにします。

この時点ですでに15キロほど歩いていまして、思ったよりも起伏にやられているのでこの奥にある温泉で要入浴状態をいったんリセットすることも考えたのですが、ここで温泉に入ってしまうと間違いなく風呂上がりの休憩室で爆睡ルートに突入するので我慢。というより旅館に戻れば風呂があるし、その後心置きなく寝落ちできる。

最後に高千穂の起伏の激しさを一望できる橋に向かいます。
DSC07279
青葉大橋。橋の長さが270メートルのコンクリートアーチ橋です。朝に訪れた真名井の滝の1キロほど下流に架橋された橋です。

DSC07283
その橋の真ん中あたりから見た五ヶ瀬川はめちゃくちゃ遠いところにあります。橋の高さはわかりませんが、おそらく100メートルはゆうに超えていると思われます。普通に怖い。こんなに山奥なら周りに家のひとつもないのでしょう・・・となりがちですが。

DSC07284
なんだよこれ。なんだよこれ。何かがバグっている。葦原中つ国の生成時の起伏がバグっているのか、川のスポーン位置がバグっているのか、それともホモサピエンスが生息する場所を間違えたか、俺の九州に対する理解が浅いか。

その後、やはり飯屋はクローズしていたので近くのドラッグストアでお弁当を買って旅館に戻り、それを夕食としました。おともは檸檬堂でした。その後たっぷりと風呂に浸かって、爆睡ルートに突入したようです。



おまけ




3日目は1日掛けて帰るだけだったのでほとんど写真を撮っていない(たったの17枚)のですが、博多でうどん巡りをしたのでその様子を少しだけ。

DSC07304
まず1軒目は一蘭。うどんでもなくただのラーメンで、しかも全国展開していて、博多感すら皆無ですが、いちおう博多の豚骨ラーメンなので。味付けは感謝の5倍唐辛子です。最近はカップ麺も出てきているので、もはや勝手知ったる味です。中々売っていないしカップ麺にしては高いのはそれとして。あれ。5倍ってたかだかその程度でしたっけ。

DSC07305
気を取り直して2軒目は大地のうどん。博多うどんだと思って意気揚々と入りましたが、実態は福岡市民に人気な、豊後のうどん(讃岐の半分程度のコシをもったうどん)でした。1番人気はめっちゃデカい牛蒡天麩羅の乗ったうどんですが、今回頼んだのはそれではなく、次点あたりの肉うどんです。

DSC07308
もう一回気を取り直して、きちんと博多うどんの場所を調べて、三度目の正直は博多うどんのチェーン店はウエストの博多うどん。博多のひとつとなりは祇園駅の近くの店舗です。これだこれだ、コシよりもモチモチを重視したうどん。明太子入りのカマ玉うどんで、博多名物をいいとこどりしました。
なお、なぜだか知りませんが明太子がめちゃくちゃ塩辛かった。

中州や天神や姪浜には行きませんでした。




では。

聖地巡礼をしに高千穂へ行ってきた。その4(天岩戸)

どうも、金音ニトロです。




DSC07192
疫病で観光向けのご飯屋は軒並み休業、数少ない地元民向けのご飯屋を見つけて、角煮丼をいただきました。冷や汁を食いたかったが、ひとまずはありつけて一安心。

さて、バスが来るのが12時38分で、爆速参拝を決めれる時間が出来たので、気になった場所を爆速参拝します。

DSC07195
まず一つ目が、天の真名井。ニニギがこの地に降りた際、水が無かったので、高天原からこの地に水を持ってきたとするものです。写真の巨樹は、その水を吸って生長したまさに神木と言ったところでしょうか。

DSC07196
そして2つ目がくしふる神社。知らないと読めないし、知っていても変換できない。サムハラ神社かよ。少なくとも觸は触の舊字體なのはわかりますが、「むく」で「槵」が変換できるのは知らんて・・・。

くしふるの峰はニニギが三種の神器を賜った場所で、かつてはその山を祀るものとして信仰されていましたが、江戸時代にニニギそのものを祀る神社に変化し、その時に社殿も建立されたようです。

DSC07201
槵觸神社の社殿は50段くらいの階段をあがった先にありました。二礼二拍一礼。

DSC07206
何とか爆速参拝が決まったので、神代川からバスに乗って天岩戸を目指します。大体15分くらいで天岩戸、8キロ程度の延々と上り坂です。現代人なら容易に膝を壊す距離。

DSC07209
天岩戸神社は東社と西社が在るようで、見た感じ西社の方が規模が大きかったので、先にパッと巡れると踏んだ東社を巡ります。

DSC07213
東社は、アマテラスが天岩戸から出てきた際に、最初に住んでいたと言われている場所です。当然祭神は家主のアマテラス。

DSC07215
神社の入口にアメノウズメが居ました。中にモーターが仕込まれているようで、裏のスピーカーから流れる神楽歌と連動してぐるぐる回転していました。


ところで、アマテラスが天岩戸に隠れた経緯はこうなります。

イザナギがスサノオに海を支配するよう命じる
→スサノオは黄泉の国に居るイザナミに会いたくて泣きつく
→怒ったイザナギはスサノオを高天原から追放
→仕方なく海の支配を行うが、その前にアマテラスに会いにいく
→高天原の住民はスサノオが謀反を起こしたと勘違い
→アマテラスが完全武装で出迎える
→スサノオの身の潔白を証明するためにアマテラスと誓約を行う
(この時にアメノオシホミミが誕生)
→身の潔白が証明されたので高天原で暴れまくる
→この時、天の服織女に杼が刺さって事故死
→アマテラスは甘やかしすぎたのを反省し、天岩戸に引き籠る
→世界に闇が訪れ、あらゆる禍が発生する


→オモイカネが色々と案を出す
→まず鶏を集めて、鳴かせる
→イシコリに八咫鏡を、玉祖に八尺瓊勾玉(五百箇御統(いおつみすまる)勾玉を数珠やロザリオのように大量に束ねたもの)を作らせる
→アメノウズメにストリップをさせる
→八百万の神々が一斉に笑い出す
→様子が気になってアマテラスが顔を出す
→アメノウズメが「貴方より尊い神が現れた」と鏡を見せる
→アマテラスがさらに身を乗り出したところを、アメノタヂカラヲが天岩戸を塞いでいた巨岩を長野の戸隠まで投げ飛ばす
→天岩戸に結界を張って万事解決



長野も行きたいですね。なんなら別所温泉とか鹿教湯温泉とかめぐりたい。

DSC07221
拝殿はやはり長い階段と参道の奥にありました。こちらはアマテラスの仮住まいという事もあってか、神明造になっていました。ちなみにこの奥わずか数十メートルの距離に天岩戸の現場があります。何かあったらいつでも逃げれる、という事なのだろうか。たぶんちがう。

DSC07222
東本宮は天岩戸の真横にあるのに対し、西本宮は天岩戸を、岩戸川をはさんだ対岸に位置しています。そのため、東本宮と西本宮との間には鳥居前町が広がっていました。

DSC07225
鳥居前町を抜けた目の前に西本宮が存在しています。西本宮の主神もアマテラスですが、
なお、ふもとの高千穂神社よりも、こちらの天岩戸神社(の西本宮)の方が神社の規模もそうですが、人間の立ち入れる範囲は大きいです。

DSC07226
天岩戸が見れる簡単な案内があったので、これに参加してお隠れになった現場を見ます。
天岩戸自体は撮影禁止ですが、幅20メートル、奥行き10メートルの巨大で浅い洞窟でした。もっと鍾乳洞のような、防空壕のような、奥に細長い感じかと思っていましたが、イメージと違いました。

というかそれほどのサイズの洞穴ならば、その穴をふさぐだけの巨岩をどこから拾ってきたのか、その巨岩はどれくらいの重さなのか、その石を長野まで投げ飛ばす腕力はいかほどなのか、めちゃくちゃ気になります。

DSC07231
ちなみに西本宮の拝殿からは絶対に天岩戸本体は見えないようになっています。この拝殿の奥にある遥拝所からしか見えないような設計になっているので他の場所からも見えません。

DSC07234
東本宮西本宮の参拝が済んだので、八百万の神々がアマテラスを現世に連れ戻すための会議が開かれたという、天安河原に向かいます。

DSC07240
河原に降りた瞬間からこの絶景。ものすごくかんさびた雰囲気です。となると洞窟をふさいだ巨岩はここから引きずってきたのかもしれないです。天安河原から天岩戸まで500メートルくらいありますが神なので何とかなったでしょうか。

DSC07241
そこから更に数分奥に進むと、雨風をしのげる洞窟がありました。むしろこの洞窟の方が天岩戸っぽい雰囲気すらあるのですが、下流の浅い洞窟の方が天岩戸で、上流にあるこちらは会議室のようです。収容柱数がデカかったからかな?

DSC07244
洞窟内から撮影してみます。何ともすごい場所で会議を行っているなあ・・・神々は闇の中で会議を行っていたわけですが、すくなくとも夜には訪れたくない場所です。喜ばしくない何かが残留しているかもしれないですし。

というか天安河原にある石という石が無駄に丁寧に積まれていました。こうなるとロックバランシングというより、賽の河原なわけですが・・・。親より先に死んだ子供と言えばヒノカグツチが思い浮かびますが、彼が今の今までこの地に残留していたか、もしくは会議に参加していたかして、暇つぶしにずっと積み上げていたのでしょうか?

確かに八咫鏡と五百箇御統を作る時間で、根気さえあればできなくもなさそうですが、ヒノカグツチでもない限りやりたくはないです。というか生まれてきた瞬間に親に*されるのでヒノカグツチになりたくないです。






では。

聖地巡礼をしに高千穂へ行ってきた。その3(高千穂駅)

どうも、金音ニトロです。


高千穂神社をあとにして、道の駅とがまだせ市場で買い物したりしながら坂をのぼりつつ。

DSC07144
地図にない線路が見えてきました。単線非電化ですが、やけに高規格。

この路線は、旧国鉄の高千穂線です。

熊本と延岡を結ぶ路線として建設がスタートし、熊本側は1928年に高森まで、延岡側は1972年に高千穂まで建設がすすみました。この時、高森側が国鉄高森線、高千穂側が国鉄高千穂線として営業されるようになります。が、国鉄の資金難や高森側での異常出水によって建設は断念、高千穂から高森までつながることは無く、その後両者は仲良く三セク転換。平成17年の水害によって橋梁が流出、全線が休止され、平成20年に敢え無く廃線となってしまった路線です。

熊本側も平成28年の水害で一部運休になっていますが、大丈夫なのでしょうか・・・?
DSC07147
高千穂線は現在、高千穂駅と高千穂橋梁との間でトロッコ鉄道が運行されているので、それに乗り鉄をしに来たわけです。

DSC07149
休止当時の時刻表。観光列車ふくめ1日15往復が確保されていました。現存する鉄道路線でこれより少ない路線はそこそこあるので、かなり頑張っていた方なのかもしれないです。
京都行は、寝台特急彗星でしょうか。あったら間違いなく乗っていたでしょう。
なお現在は、熊本からの特急バス2本(運休中)、バイパス経由7本、旧道経由6本の合計15本(13本)。ああ、なるほど。(とおもって天北線を見たらとんでもないことになっていた)

DSC07148
と、運賃表。まさかの駅ナンバリング順ではなくアイウエオ順。なぜこんな分かりにくい仕様にしたし。なお、廃止代替バスで延岡まで行くと1820円で、かなり値上がりしてます。

DSC07162
当時使われていた券売機。こちらは距離順に並んでいました。だったらホワイトボードも距離順でたのみますよ。日之影温泉までの往復券が発券されているあたり、意外とそういう需要が多かったのでしょうか。

DSC07151
なお、高千穂駅は広々とした駅構内に1面2線の狭いホーム、その奥に車庫があり、当時使用されていた気動車が安置されていました。それにしても線路が高規格で、相当お金をかけて建設したのだろうという事がうかがえます。

DSC07153
TR200とTR100。定員100人ていどのレールバスです。快速運転をおこなっていたようで、その幕が表示されていました。

DSC07155
駅の奥には高森に向かって線路が続いていて、15分に1本熊本行きの電車が来る。直流1500ボルト。の夢はかなわず。仕方がないので途中のトンネルをワイナリーの貯蔵庫として利用しているようです。2日取れればなあ。しかし無情にも日本は広く、宮崎は遠すぎた。



DSC07165
そんなこんな言ってる間に、ちゃんと列をなしている列車が到着。2500CCエンジンを積んだ、トロッコ列車です。高千穂橋梁を目指します。

DSC07169
列車に乗り込んで、天岩戸へ向け出発。画像では分かりにくいですが、乗ってみるとかなりの急勾配をくだっています。やはりその通りで、延々と続く下り坂の最大勾配は25パーミルと、鉄道にとってはかなり鬼畜な急坂を強引に最短距離で結んでいるわけでした。瀬野八が22パーミル、山形新幹線の板谷峠が38パーミルであり、それに匹敵するレベルです。

なお、日之影温泉から延岡側は戦前に建設された、五ヶ瀬川沿いをくねくねと風光明媚に進むのに対し、高千穂側は戦後の鉄道公団によって建設された、トンネルと橋梁を多用した高規格で直線的な路線です。だからこうやって廃止後もトロッコ列車を運行できているのでしょうか。仮に下流域のトロッコ列車だとしたらすぐに自然に還って維持が大変そうだ・・・。



DSC07172
そうこうしているうちに列車は天岩戸駅に到着。最寄り駅とはいえ、天岩戸神社までは相当に距離があります。そのためか、利用者は3人程度とかなりの秘境駅じみた雰囲気だったようです。

DSC07176
そのすぐ近くには、現存する鉄道橋では日本一高い高千穂橋梁があり、列車はそこで一時停止。高千穂橋梁の高さは105メートル。よくもまあこんなところに架橋をしたよ。圧巻と言うか、もはや「怖い」の領域に片足を突っ込んでいます。

普通列車であれば当然天岩戸駅に停車をするので、ここで当然減速をしていたはず。となると、強風の日は相当揺れたのではないかと思われます。しかしなぜそんな無茶な架橋を

DSC07178
良い感じに風が吹いていたので、運転手と車掌がシャボン玉を出していました。なお、風が強すぎると橋を渡れません。

DSC07184
橋を渡れないというより、天岩戸駅側にゲートがあり、強風時はこのゲートが閉ざされるわけです。

DSC07182
しばらくすると列車は動き出し、橋を渡り切ってトンネルの入り口で折り返します。このトンネルが高千穂線内最長トンネルで3000メートルあり、このトンネルを通る計画も持ち上がっているのですが、トンネル内で町境を挟むことから、現在日之影町と交渉中のようです。日本一高い橋梁と、高千穂線最長のトンネルが同居するあたり、このあたりの地形の複雑さがうかがえます。

そして列車は今来た道を引き返します。2017年ごろに軽トラを改造したトロッコから現在のトロッコに改良されたとはいえ、やはり25パーミルの登り勾配。行きと比べてエンジン音がかなりけたたましく響き渡っていました。逆に軽トラトロッコ当時の、帰りのエンジン音はどんなものだったのか、むしろ体験して見たかった。

DSC07188
そんなこんなで高千穂駅に戻ってきました。





次はさらに山を登ります。





では。

聖地巡礼をしに高千穂へ行ってきた。その2(真名井の滝・高千穂神社)

どうも、金音ニトロです。


南国宮崎とは言いつつ、高千穂は普通に寒かった。が、なぜか暖房をつけずとも爆睡できました。


DSC07291
ちなみに朝ごはんはパンを自分で焼いて茹で卵と共に頂くタイプのものでした。

今回の旅で取った宿が高千穂峡のかなり近くにあったので、まずはそれを抑えます。

DSC07118
途中こんな看板を発見。ちょっと都市に出るだけでもこの距離。およそふざけた距離ですが、距離がふざけている分高千穂内のインフラはそこそこだった印象があります。にしても、あまりに隔絶された秘境である。

DSC07119
高千穂峡は阿蘇の噴火と五ヶ瀬川の浸食によって作られた、高さ約100メーターの断崖絶壁で、その渓谷美から昭和9年に天然記念物に指定されているほどです。
で、そのスケールの通り、水面に向かうには鬼のような勾配の坂道を下っていく必要があります。
行きはまだ下るだけで良いのですが、帰りにこの勾配を登るわけでして。地獄が見えます。

DSC07120
で、これが真名井の滝・・・・ではなく、その道中に平然と生えていた、モブづらをした滝です。一応名前がついており、玉垂の滝というらしい。ちなみにこのすぐ上に道路を走っていることを考えると、いかに勾配というか谷底が深いかがわかります

DSC07126
そこから更に5分くらい下ると、ようやく本命の滝が姿を現しました。
12万年前と9万年前の阿蘇山の噴火によって降り積もった凝灰岩を、五ヶ瀬川が削った地形に流れ込む滝です。
日本神話に従うと、かつてアマテラスの住んでいた土地にニニギが天孫降臨を行い、その際に水が無かったので天押雲が高千穂の地に高天原から水を持ってきた、という記述が存在するので、おそらく7万年前くらいの出来事なのでしょう。となるとアマテラスは阿蘇噴火のずっと前に住んでいたという事なのでしょう。(とすると鬼界カルデラが爆発して九州の縄文文化が軒並み消滅したうんぬんはどう反映されてるんだろうか)

DSC07121
おのころ池。五ヶ瀬川の途中にあるこの池が真名井の滝の水源のひとつになっています。おのころ池にある岩が「おのころ島」らしいです。どうでもいいけどおのころってイザナギとイザナミが最初に作った島(ようするに淡路島、友ヶ島のあたり)じゃないの・・・?淡路島も行きたいですね、おいしいたまねぎを食ったりしながら。

DSC07122
おのころ池には当然ヌシが住んでいるようで、そのヌシのためにささげる神饌が置いてありました。どこにでもあるな。なお、ヌシは餌場の前でスタンバって居ました。やはりいくら古事記の聖地といえど、俗人によって分からせられてしまっていました。かわいいやつめ。



本当はボートに乗りたかったのですが、さすがに今日1日で高千穂全部回る事を考えると時間が取れなさそうだったのでパス。同時に淡水魚水族館もパス。という建前で、本音は早くあの地獄みたいな上り坂を片付けたかった。





DSC07129
だいたい20分くらい坂を上って高千穂神社に到着。あの坂は本当に高尾並みにありました。
ニニギ、コノハナサクヤ、ホオリ、ウガヤフキアエズが祀られている神社で、その後源頼朝が杉を植えたり、大正14年に秩父宮が御幸あらせられたり、現在は別表神社(特別扱いされている神社)となっている神社です。
なお、旧社格(戦前までの神社の分類)では官幣神社・・・ではなく、ただの村社だったようです。なんでだ。


DSC07128
一目でわかる、このありがたさ。まさに木々によって作り出された「神域」で、もじどおり「かんさびた」雰囲気を感じます。

DSC07130
疫病で夜神楽はやっていなかったものの、手水舎からは水が出ていました。疫病対策として水は出さず、替りにアルコールが置かれているところもそこそこ見ましたので、これは意外。

DSC07132
階段を上ると拝殿があります。人間が踏み入れられる面積こそ小さいですが(というよりも、その奥に広がる鎮守の森的な領域がかなり大きい)、かなり手入れがされていました。苔むした燈籠もかわいい。
つくりとしては流造で平入です。どうやら神明造ではないようです。
流造は神明造の発展形として誕生した建築様式なのですが、その神明造が伊勢神宮に代表される建築様式・・・
この時点ですこしだけ矛盾を感じますが、おそらく後世に何かあったのでしょう。もしくは全くの無関係か。神代のものにたかだか2000年の新旧で言い争うのもアレか。

DSC07133
秩父杉。樹齢800年の、頼朝の代理人が植樹した杉です。周囲7メートル、高さ55メートルの巨樹になっていました。

DSC07136
その近くには要石がありました。垂仁天皇の時代にこの地に鎮座されたもので、おそらく当時流行った疫病を鎮める目的で安座されたのでしょう。ところでオミクロンを鎮める「石」ってなんだ?アストラゼネカ?C2H5OH?セバストポリ?



DSC07139
拝殿の横には神楽殿がありまして。本来であれば毎晩ここで夜神楽が行われているのですが、ちょうど休止期間中で、ただの空き部屋となっていました。

DSC07137
なんともタイミングが悪いというかなんというか。

DSC07138
内部はかなり広く、100人くらいなら余裕で入れそうな会場です。本来であればそれだけ人数を収容して大規模に夜神楽を行ってるのでしょう。一生悔やまれます。





次回は一気に時代を飛んで昭和平成の跡地に向かいます。






では。

聖地巡礼をしに高千穂へ行ってきた。 その1(八王子~高千穂)

どうも、金音ニトロです。

春休みに入ったので、この期間を利用して遠くに行ってきました。

前回出雲を回ったので、今回は高千穂です。伊勢は最後になりました。
高千穂と言えば宮崎県の山奥なわけなのですが、そこまでのアクセスがかなり遠い。というのもおそらくの最速ルートが羽田空港から宮崎空港に行き、そこから日豊線に揺られて1~2時間、そこから路線バスで2時間、とまあ馬鹿みたいに時間がかかるわけです。しかも、航空料金が高く、全日空で片道4万円ほどだったような気がします。
その金額があれば新幹線で博多を往復できてしまうので、それならばと陸路を使って西へ行きます。というか航空料金高すぎるだろ。

しかしバスの方も、疫病のせいで博多~延岡便が減便を食らっていたり、当初予定していた熊本~延岡便が全便運休だったりと、秘境がさらに秘境になっていました。九州新幹線乗りたかった。残念。
九州新幹線の夢がついえたので、だったらもう一度サンライズに乗り、岡山で乗り継いで博多から10時半の便に乗ろうとか考えましたが、やはりこちらもダメ。というのも。
博多熊本高千穂延岡
0825----11441254
----91112211331
1025----13441454
----153118411951
1550----19092016
1750----21092216


なんだこの大減便。驚愕の運行本数です。という事で、愚直に1日掛けて高千穂に行きます。
DSC07081
という事でもはや見慣れた新横浜駅。ここから博多までは5時間くらいです。
新幹線内では、特にこれと言ったことも無く、古事記を読んだり、ゲームしたり、飯を食ったりしながらのんびり過ごしていました。ので、写真はほとんどありません。
DSC07082


ここで、高千穂が古事記的にどういう場所なのかを説明しますと、アマテラスとゆかいな仲間たちがかつて住んでいた場所であり、アメノオシホミミ(スサノオとアマテラスの誓約によって誕生した神)とニニギ(アマテラスの孫であり、アメノオシホミミの子)がこの地に降臨して(天孫降臨)神武天皇につながる歴史が始まる場所でもあるのです。
時系列でいうとアマテラスが高千穂に住む→アマテラスの親戚(大国主)が国家を平定して出雲に安住する→その後、ニニギがこの地に降る。で、神武天皇がなんやかんやあって奈良に安住し、今に至る。
ちなみに伊勢神宮は、第10代崇神天皇やら第11代垂仁天皇のころに疫病が流行った際、アマテラスのご神体である八咫鏡がこの地へ移されたというだけなんですねえ・・・。古事記的に言えば。

ちなみに家系図を軽く抜粋しますとこうなります。
image1

これを見ればわかるのですが、超ざっくりいうと、高千穂は伊勢神宮の聖地です。
そのわりには、伊勢神宮建立の事は古事記では軽く流され、しかしイザナミの尿から生まれたワクムスビの子、トヨウケについての記述については古事記にだけ載っていて、日本書紀には何も書かれていないらしいです。(トヨウケは天孫降臨で葦原中国にあまくだって、その後伊勢に住んでいます)
DSC07084
気づいたら新幹線は関門海峡を越え、九州は博多の地を踏んでいました。はやい。九州は修学旅行以来なので軽くテンションが上がっています。もっと余裕があったら博多の太宰府天満宮とか、箱崎神宮とか、八幡製鉄所とか、色々見て回っていたと思います。

さて、バスの時間までかなり時間があるので、少し寄り道します。

DSC07085
という事で、新幹線から「新幹線」を乗り継いで、博多南駅を目指します。
DSC07087
マルス券ではなく近距離切符なのはまあどうでもいいのですが、特急料金はたったの100円。

DSC07088

わずか8分ほどで博多南駅に到着。違和感マシマシな博多南線はどこからどう見ても新幹線なわけなのですが、どちらかと言えば新幹線車両基地に回送するついでに、那賀川市の客を拾うために旅客もやってる路線です。距離が短いので時速200キロに達しないことから扱いとしては在来線で、そのため新幹線車両で走っていますが在来線特急扱いです。新在直通できるミニ新幹線とはまた違います。ガーラ湯沢もこんなんだった気がします。なお、博多南が通年運行に対してガーラは冬季のみの運行なので、乗車難易度がそこそこ高いです。
DSC07100
その車両基地。夕ラッシュに備えるべく大量のN700が留置されていました。はい。
駅の近くには「元々かなり広い農地を抱える大地主だったけど、突然国鉄が新幹線車両基地を作りたいと言い出してね、当然嫌がったんだけどそれで国家が発展するんだから最終的に折れたよ。」みたいなことが書かれた石碑が立っていました。
駅前のマクドナルドでビッグマックを食って引き返し、博多に戻ってまいりました。
DSC07101
で、バスターミナルで少し時間をつぶし、延岡行きのバスを待ちます。このバスもなかなか乗車時間が長く、大体3時間程度となります。遠い・・・。しかしどうやらこれでもマシになったようで、高速道路が開通するまでは4時間以上掛かっていたようです。そこから更に、九州中央自動車道の一部開通でもう少し時間が短縮されたらしい。
DSC07103
そして目的のバスが到着。博多から乗車したのは大体7人程度。金曜日の午後という事で、かなり空いていました。これで3時間ほど揺られれば高千穂、なのはいいとして、マジで昼を丸ごと潰して移動しています。夜の間に移動できるってだけで相当楽だったんだなあと感じます。
DSC07108
途中の北熊本SAで休憩。すでに疲れています。
その後は高速道路を降りて山間部に入り、山道とは言え主要な国道なのでかなり整備されているようで、ワインディングではあるものの揺れは少なかったのが救い。で、ようやく。
DSC07111
高千穂バスセンターに到着。夜神楽を見に行くつもりでは居たんですが、疫病によってちょうど休止中でした。その休止期間が3月10日までという事で、ものすごくもったいないことをした。観光協会のサイトに色々と書いていたので知っていたんですが、改めて現地で最新情報を確かめたらやっぱり休止中でした。ある意味最大のイベントが潰れました。
DSC07114
高千穂でお世話になる宿は簡単な朝食が提供されるB&B形式の宿、浮雲です。
DSC07115
そして宿泊する部屋はこんな感じ。風呂トイレ付きの部屋を予約したのもあってチェックイン即入浴できたり、部屋が広々使えたりと、かなり快適でした。
ちなみに疫病でめし屋というめし屋が軒並み時短営業をしていて、ディナー営業などどこの店もやっておらず。近くの酒店でパンと酒を買って、共用スペースを借りてこれを晩飯としました。

ちなみに酒店に日本酒が並んでないのを店員に訊いたところ、なんと宮崎県内には日本酒の酒造が2軒しか存在していないそうです。その一方で焼酎はよく飲まれるので、高千穂だけでも5軒も焼酎の酒造が存在します。
そんな関東とはまるで違う文化を肴に酒を飲んで、明日高千穂をじっくり観光します。




では。

生きてます。

そう言えばすっかり明けてました、生きてます。ぼくです。


特段ブログに書くまでもないような生活しかしていなかったので、すっかりここの更新を忘れていました。

一応昨年10月に就活が終り、4月から社会人となることが確定した程度です。
あとはまあ細々ながらYouTube活動と、修論をしこしこと拵えております。

こんな調子なのでQOLが終わっています。

では。

18きっぷで石廊崎に行ってきた。

どうも、金音ニトロです。


某ロナですが、どうしても再訪したい場所があったので、18きっぷを片手に向かう事にしました。
時系列でいうと、犬吠埼の2週間ほどあとになります。

20210825_100054424
さくっと、熱海駅までカット。ここまではいつものです。近々相模線がE131に置き換わるので、乗れるうちに乗り倒しておこうというのもありました。(とはいえ飽きるほど乗ってる)しかしなぜ4両13編成を12編成に減車したんだろう、沿線人口は増えてるというのに。それとも速度やダイヤ改善によって、列車の回転がよくなるのだろうか。ほぼ毎駅列車交換をするせいで、関東近郊の路線としては屈指の遅さを誇る路線になり下がっているので、それが改善されるなら大歓迎です


20210825_100739
熱海につくとラッピング列車が居ました。黒船をモチーフにしたものです。これを乗り通せば伊豆急下田に行けますが、とある理由で伊東で途中下車します。内部はかなり独特な座席配置をしていました。2+1のゆとりがありまくる座席だったり、オーシャンビューな感じで座席が窓を向いていたり。これを18券で与れるとはなんと贅沢な、と言うレベルです。

20210825_104457928
伊東駅で下車。これ以南JRではなく私鉄は伊豆急になるので、別途切符を買いなおさなければいけないのと、後続車両がかいじから転属された踊り子と言う事で、一度乗ってみたかったのもあります
それにしても私鉄は下田までの切符を買うのにJRの友人窓口でしか対応していないというのはこれいかに。せめて伊豆急用の専用窓口を設けてほしいものです。それか券売機で購入できるようにしてほしいものです。鹿島神宮駅みたいに。

20210825_104712044
この日は1日乗車券のシーズン外と言う事もあり、伊豆急下田まで2000円ちょっと支払って乗車。普通に往復するだけで18券より高いんですが。

20210825_105324908
踊り子の車内はかなり空いています。今回利用した2号車が10人でしたので、ざっくりひと編成90人しか乗っていないことになります。某ロナ下でなくても、普段の平日であっても、明らかに輸送力過剰説ありますね。9+5にするのではなく、5+5+5にすればよかったのではと思ったり思わなかったり。平日10両、土休日15両で。国鉄型特急185系が10+5でしたので、恐らくホームは足ると思うので。

20210825_112843504
車窓から臨む海は大変すばらしいものです。素晴らしいですが、一瞬しか拝めないのが玉に瑕です。

ところでこの路線は(伊東線も含めて)戦時中の資金難だったり、色々とあった結果、全線に亘って単線になっています。そのせいで停車駅でもない所で列車交換が行われるしまつ。やけに時間が掛かります。

20210825_115320653
伊東から大体1時間で下田に到着。特急はやはり快適でした。

12時10分発石廊崎行きのバスに乗りこみ、更に南下します。車内は最初こそ、そこそこにぎわっていましたが、多々戸で10人ほど下車、休暇村で5人ほど下車した結果、休暇村から完全に貸し切り状態となりました。こんな状況横沢でもあったな・・・。

20210825_123525738
恐らく全員降りたものと勘違いしたのか、単に総重量が軽くなっただけなのか、恐らく後者、休暇村から謎のスピードアップが行われました。ただでさえ海と山とが入り混じる起伏の激しい九十九折を、ものすごい横Gを掛けながらかっ飛ばしていきます。乗り心地はかなり悪いです。土地柄と距離的に仕方ない部分もありますが、もう少し何とかしてほしかった。

ちなみに伊豆半島と言えば、根元の熱海で土砂災害が有りましたが、マジであんな感じの「わずかな平地に無理やり集落をこさえた」ものが石廊崎まで延々と続きます。

20210825_125425296
ほどなくしてバスは終点の石廊崎に到着。なお運賃は1020円。路線バスで4桁は中々ロングランと言えるでしょう。

と言うよりかは、この伊豆半島がそういう土地なのでしょう。

やけに新しい施設「オーシャンパーク」の向こうには石廊崎灯台がそびえています。もともとこの地にはジャングルパークなるものが存在したようで、それが2003年ごろに閉鎖、その跡地を自治体が買い取り、2019年に生まれ変わったものらしいです。

20210825_125719
石室神社(いろう・じんじゃ)の鳥居です。この神社は他の古めの神社と同様、8世紀ごろには既にあったとされています。ただ一つだけヤバい点がありまして。

20210825_131341169
それがこれ。完全に岩のくぼみに飲み込まれています。と言うよりも、岩のくぼみに神社が建立されたと言った方が正しいようです。しかしなぜこんな崖のど真ん中に作ろうと思ったんだ。生成座標を間違えたか、何らかの座標バグが発生したままデバッグを怠ったのだろうか、中々カオス。

20210825_125915
その数十メートル手前にはしっかりと石廊崎灯台が存在しています。こちらは崖の上と、普通にまともな場所に設置されています。ただし標高は50メートルもあり、いかに崖みの深い場所であるかがわかります。地理院地図を見れば一発で分かりますが、石廊崎灯台の北の岬、途中で等高線が途切れています、これはあまりにも崖が複雑すぎて標高を書かなかった、書けなかった、と言う意味を表します。

20210825_130002
太平洋の東側を臨んでみる。晴れた日には利島、新島、神津島、式根島などが拝めるようですが、あいにくの雲で見えたのはだいぶ手前の神子元島のみ。

20210825_132634
2019年にリニューアルオープンしたオーシャンパークに戻り、ラーメンを喰います。ジオのりラーメン、海苔はこの近辺で取れたものと思われ、ジオは伊豆半島一帯が特徴的な地形であることからジオパークとして登録されてることにちなみます。普通においしい。

伊豆半島は数百年前に誕生し、ゆっくりと半島になったタイプの元火山島です、ゆえに温泉やら湧き水やらが豊富なわけです。とくに100年ほど前は丹那盆地のあたりが。日本の大動脈を掘削したばっかりに丹那の山葵産業が終わったんですね。


なお、石廊崎を含めどこかに向かうには一度下田を介しなければいけない都合上、複数回るには当たり前のように自家用車が必須となります。某アニメの聖地である田牛サンドスキー場も巡礼したかったのですが、石廊崎からの直通バスは無く、一度下田(吉佐美)に戻って再度バスで向かう必要がある僻地、しかも終バスは13時台の閑散路線と言う事でした。ので、単振動で下田に戻り、寝姿山をとりあえず往復し、道の駅に酒が陳列されていないのを確認し、そのまま帰宅。

なお、石廊崎から日野でバスを乗り換えれば下賀茂の温泉街にアタックできたようです。(おそらく某ロナで休館中だとは思うが・・・)




ところで八王子から石廊崎まで片道5時間と距離のわりにやったら時間かかり、別にそれはそれでいいんですが、そのうち私鉄とバスで往復約6000円。うん、18きっぷとは?









では。

18きっぷで犬吠埼と銚子電鉄に行ってきた。

どうも、金音ニトロです。

夏です。クソ暑いのを自宅でじっと耐えながら職務とゲームともろもろとやってます。およそ夏でも春でも冬でも秋でも関係ないような季節感皆無日々。

某ロナのせいで完全に色々と崩壊しました。虚無で充満しています。虚無は満たされ続けると宿主を崩壊させるので適度に爆散させる必要があります。

ところで、千葉の東端をトコトコと走る私鉄が有ります。総武線の終着、銚子の更に向こうを走る、銚子電鉄です。巷ではそこそこ有名なのですが、モータリゼーションで本業の鉄道は赤字、赤字過ぎて変電所の更新すら賄えない、三セクではなく私鉄なので地方自治体の庇護も受けられない、と言う中々ヤバイ路線です。そもそも銚子市の人口が5万人少しと心もとなく、都心から軽く2時間はかかるので乗りに行くのも一苦労と完全に踏んだり蹴ったり。磐越西線が一部区間を非電化にするようですが、気動車を買う資金も無いらしいです。

と言う事で、廃業してしまったら二度と乗れないので、電車が動いている今のうちに乗りに行きました。ついでに虚無を放散させます。

20210812_135921
18きっぷを使って八王子から4時間。隣りの県に移動するのに4時間。銚子駅に到着。銚子電鉄は総武線のホームを端まで歩いて更に先にポツンと存在しています。ところで4時間を丸ごとすっ飛ばしていますが、銚子までは一度乗ったことがあるので、写真は撮っていません。それと普通に混雑していました。

20210812_140234
銚子電鉄のホームに出ると、いかにもな電車が居ました。クハ2500、京王帝都電鉄で1957年から使われている超老骨です。車内もなかなかにいかれていて、生姜の会社とタイアップしているようで、一面桃一色の風船やら人形やらで埋め尽くされていました。なぜか地元民ではなく子連れの家族やら巨大なカメラを引っ提げた剛のもので混雑していたので、車内の写真はありませんが、ググればやたら沢山出て来るので、そちらで補完してください。

20210812_140658
と言う事で、車内で一日券を購入。車内は桃一色ですが一日券の価格は700円、ピンヅモの親被りの値段です。銚子から終点の外川までは350円、単純に往復すれば元は取れますし、帰りの切符を購入する手間を省けるのでお得です。


ところで列車の速度はかなり遅く、恐らく江ノ電といい勝負が出来ると思います。それほど規格が古い路線です。もしくはそれほど遅く走行しないと車両が破壊されるか。調べたところ、最高速度は40キロとのこと。これは遅い。

20210812_143137
遅くても、歩くよりか速いので(最短距離で突っ走った自転車には負ける模様)、およそ20分で終点の一つ手前犬吠に到着。ここに売店が有り、どちらかと言えば本業になっているらしい煎餅ら、銚子近くの酒蔵で作った日本酒を購入し、銚子電鉄に少しでもお金を落とします。ただこの日本酒はやけに不味かった。この駅はかなり立派な駅舎がある方の駅ですが、それでも鉄骨が錆び、コンクリートに亀裂が入り、おおなえで一発でおしまいになりそうな、かなり来てます。

20210812_144814
さて、関東の東端に向かう途中に廃業したであろう水族館を発見。死因は某ロナではなく、それ以前に廃業しているとのこと、近々復活するとかしないとか言われているらしい。

20210812_145211
と言う事で、目的の犬吠埼に到着。関東の東の果てを制覇しました。他には近日点の前後数週間、本土に限って最も日の出が早くなる場所でもあります(そうでない残りの40週前後は北海道の根室、一般人が立ち入れない場所を含めると小笠原の孤島、南鳥島です。)一説にはヤマトタケルはここから北を目指したとも言われています。北端に関しては、そのまま宮城県まで攻め滅ぼした(日本書紀)とか、木更津から東京湾を回って甲州道に抜けた(古事記)とかいろいろあります。

20210812_145233
内部の見学は、某ロナの影響で閉鎖されていました。ちぇっ。何とかと煙は高いところにナントヤラ、しかし馬鹿にもなれやしない。

20210812_144543
ちなみに犬吠埼を遠くから撮影するとこんな感じ。断崖絶壁です。この東にはハワイまで陸地は何もありません。ハワイにたどり着けないとカリフォルニアまで流されます。これが太平洋クオリティ。

こぞって海鮮屋が立ち並んでいましたが、馬鹿みたいに強気な店が多かったので、飯は適当なところでこさえることにしました(結局ストライプなピエロのハンバーガーになりました。)





発車まで時間があるので周辺をプラプラしつつ、終点外川を目指します。

20210812_151741
途中寺があったので軽率に参拝します。補陀落山満願寺。満願(=70符以上3翻、40符以上4翻、5翻の時の点数。親で12000点、子で8000点。打点を作るときはとりあえずこれを目標にすることが多い。まれに裏ドラが3枚乗って点数が倍になり、場が崩壊する。)(おもに四国にある88個の札所を全て回り切ること。結願(けちがん)とも。あるいは札所に限らずスタンプラリーやチェックポイント等を制覇する事もそういったりするらしい)だけあって、そういった方々が、霊山寺のあとに訪れるお寺の様です。現にそういった分社的なミニチュアが堂内に並んでいました。あるいはここを起点に四国を回る人も居るようで、そういったツアーの申込用紙がおいてありました。やはり通常は10日ほどかかるようです。間違っても3泊4日で結願はしないようです。

20210812_161231
一日券を見せると入湯料が割り引かれたりするのですが、湯浴み後に汗まみれの服を着るのがなんとなく嫌だったのでスルー。その後は展望台で神栖市やアメリカ西海岸(地球が平坦な日の時に見えるらしい)を眺めたりしながら、外川駅に帰還。

一瞬何かと間違えるほど年紀が入ってます。どうやらこれが駅舎の様です。しかも有人駅。駅構内はランタンが針金でつるしてあったり、中々にすごい。

20210812_161317
今はおそらく使っていないであろうこれまた年紀の入った車両が静態保存してあったり、

20210812_162237
富士重工の郵便バイク「ラビット」が鎮座していたり。この地には令和はおろか、平成すらやってきていないようです。ホンダカブより数年ほど古い上に、カブにとって代わってからは急速に姿を消したとかなんとか書かれていたので、現存しているだけで相当レアなものだと思われます。

20210812_162715
15分ほど駅で時間を潰し、やってきたのは生姜ラッピング電車。途中駅で列車交換しているのでピストン輸送と言うわけではないですが、妙につり革につかまりにくいこれが戻ってきました。普通の方も拝みたかった。なお、帰りの電車も銚子につく頃には40人ほど積んでいました。これも行きと同様、そういう人々でした。


20210812_164819
で、途中の仲ノ町駅で下車したものの、肝心の車庫見学は注視しているとのこと。入場料ひとつでお気軽に電気機関車を見れると言う事で、ぜひとも納めたかったのですが、残念。80年前のこれまたヤバい奴が中に眠っていて、今でもたまに動かしている機関車とのことで、それは拝んでおきたかった・・・。

20210812_171523
そして銚子駅に帰還。とりあえず乗ってみて分かったことは、予想以上にヤバいと言うことです。車両のメンテナンスや喫緊の整備費すら賄いきれないので、プラットホームの補修や駅舎の改築などは2の次3の次で放置されてかなりボロボロ、「変電所が終わると鉄道事業が終わる」は冗談でも何でもなく、すぐそこまで来ていると言う事でした。






ヲタクどもはとりあえず軽率に乗りに行って、軽率にせんべいを喰いましょう、はい。








では。

東方虹龍洞。

どうも、金音ニトロです。

東方最新作、NORMALを初日でクリアしていたので。


いつもはパッケージで買うんですが、今回は世界の大勢と本邦の現状とに鑑み、非常の措置を以て、スティームで購入しています。

今作、めちゃくちゃアイテムに依存しているので、真っ正面から弾幕に向き合いたい人としてはちょっとあれでした。まあアイテム次第で真っ正面に向かえるような構成にはできるので、何も問題ないのですが、そうなると今度は他のアイテムに手を出せなくなるというジレンマ。

ようするに東方のプレイ自体をサボっていたので、腕が完全に鈍ってますねえ。
とはいえ突然変異みたいにワケワカランものをクリアするんですけど。

では。

高尾山で天体撮影してきた

どうも、金音ニトロです。


マンスリークエストと称して毎月高尾登ってますが、その日は馬鹿みたいに晴れていたので、ついでに写真撮影がてら3等星チャレンジをしてきました。

20210410_194053
サクッと山頂に到着。登山道は省略。舗装されてるので大したことはないです。何ならただの酷道です。

3等星チャレンジ:天体観測をする際に勝手に命名している、3等星の特定の星が見えるかどうかのチャレンジ。見えた見えないで何があるというわけでもないが、見えるとうれしい。
3等星自体は自宅からでもまあ見えるのですが、せいぜい2.7程度(てんびん座の頂点、カラス座のくちばし、くじら座のミラ)までなので。
高尾に登れば条件さえ整えば大体3.3~3.5くらいまで見えるようになるので、見える星の数が大体倍くらいになります。

DSC07044_kuwasiku
と言う事でまずはしし座。大体肉眼で確認できたのとほぼ同じ程度の星が映っています。但し かに座は肉眼ではよく確認できなかったですし、やまねこ座に関しても完全に見落としていました。おそらくそれっぽい星は見ましたが、これという確証を持ってみたわけではないので、両者失敗扱いとします
おとめ座は市街地の光害にかき消されて確認できず。

(やまねこ座が見えるとしたらしし座の北東に3.1等星がありますのでそれがチャレンジの対象です)

DSC07047_kuwasiku
おおぐま座チャレンジ。最も暗い7つ目は、3分くらい凝視してようやくわかるレベルでしたが、コンプリートは成功しました。りょうけん座コルカロリは当然にして成功してますね。

DSC07049_kuwasiku
ぎょしゃ座。アルマーズチャレンジは成功しました。ふたご座もかなり見えました。
冬は明るい星が集まってるので、というか1等星2等星があのあたりに偏在しているので、どことない奇妙さを覚えます。

なお、アルマーズに関してはこちらの動画が詳しいので参考程度にどうぞ。
https://youtu.be/uCexo4l8H5U












では。

ゆるキャン△聖地巡礼の旅 その7(浜松市)

どうも、金音ニトロです。

時系列でいうと、秋葉山登山をした続き(2日目)です。せっかく浜松に居ると言う事で、二日目はゆるキャン△の聖地巡礼をします。ちなみに一日中ヒラメがバッキバキでした。ギリシア神話のアキレウスは騒がなかったので、よかった。


DSC07006
磐田市福田町の福田海岸。しまりんが初詣をしていた場所です。

海なので風が強い、テントを張れるような環境ではなさそうでした。天竜川の向こう側なので、浜松からそこそこの距離があります。なおしまりんの行程を辿ると、掛川でお茶を購入してから福田まで走ってテント張って、そこから御前崎を往復する、という中々距離ガバをやってのけています。そのあと浜名湖まで走るという、完全に体力オバケ。てかそもそも身延の人間でしょう・・・?

浜の一番手前には防砂林として松が植えられていて、まさしく東海道、というか文字通り浜松してました。

DSC07004
あんだけ風強きゃあ、そりゃ風車も回るわな。




DSC07010
磐田の見付にある見付天神。駒ヶ根で見た早太郎が磐田にも坐していました。見付とは、京都から江戸に向かう際、この辺りから富士山が見付けられることに由来しています。が、富士山を探すなどという意識は全くなく。建物に隠れておそらく見えないでしょう。

20210220_102253
絵馬が見事にユルキャナイズされていました。この辺は久喜の鷲宮神社に似ている点がありますね。
もしくは諏訪大社。そして、こういう神社にも意外と外国人が積極的に絵馬を書いていると言う。トリップアドバイザーやそのあたりのサイトだと思いますが、磐田で一番大きな天神様とはいえ、どれだけニッチな場所を知ってるんだろう。と言う事で、明治神宮ほどでないですが、英語が数枚ありました。

DSC07022
場所を移動して、舘山寺のお菓子屋。この店名物であるイチゴのしずくは途轍もない人気のようですが、「なぜか」販売をやめているようです。あんたらそういうところだよ。

20210220_144936
店内に居ました。識者いわくプレミア品らしい。かわいい。

DSC07027
時代に取り残された看板。こういうの見るとなんかワクワクします。なお、道の駅では天竜市時代のマップが存在していました。アナログな地図はアップデートされないからこそ、こういうのを探すのが楽しいんですね。

なお、浜名湖パルパルは休園中で、ロープウェイも運休という、なんともさみしい観光地になっていました。しゃあないけど。

ちなみに舘山寺にはタイ語とドイツ語、それと繁体字の絵馬が有りました。


20210220_161009
んで。天浜線は浜名湖佐久米駅に移動します。一度だけ、なぜか掛川から新所原まで乗り通したことがあります。

DSC07032
何か居った。ここもゆるキャン△に登場してるわけです。そうでないにしても、この駅はゆりかもめの越冬地になっているので、そちらの方でも多少知られてるのでは。この日は鴨とカラスと鳩とゆりかもめが各数匹ずつと言ったさみしいライナップでしたが、日によっては100匹レベルで現れて、列車が追い払う様子が見られるようです。

DSC07035
うなぴっぴごーが入線しました。ここ天浜線には色々なラッピング列車が走っているので、そのうちの一つ、うなぴっぴごーの運行表を調べて狙って乗りに行きました。なお、ゆるキャン△ラッピングも走っているようですが、休日は密を避けるために運行の予定はされてないようでした。残念。おのれ疫病。車内はそれなりに人が居たので撮影は控えましたが、中も全面音街ウナでした。インスタやラインのQRが天井に貼られているあたり、ガチでラッピングしてる。

DSC07038
んで、なんだかんだで終点の新所原駅まで乗り通してしまった。
新所原の駅構内で駅弁でなくウナギの蒲焼を販売するの中々にシュールでした。あと、JRとの格差。

その後はJR東海の路線図を見ながらあーでもないこーでもない話してました。
浜名大橋を渡って、浜松駅に到着、聖地巡礼オフ会は大団円。






ゆるキャン△の聖地巡礼、浜松編はこの辺りで。伊豆とか畑薙とか、早川とか、もう凄いところ行ってるなあとただただ感服するばかりです。





では。

聖地の聖地を巡礼した話。(秋葉山)

どうも、金音ニトロです。


ところで、以前のブログでこんなことを言っていたのを覚えていらっしゃるでしょうか。

秋葉原=文化の生まれる場所、ヲタの聖地
ヲタ=何かと聖地巡礼をしたがる。
秋葉山=秋葉原の語源=ようするに聖地
つーことで、秋葉山に行きたい。

だとか、

いつか行きたいと思っていた、ヲタクの聖地「秋葉原」の聖地である、秋葉山大権現の参拝を兼ねられることが判明しました。
いつか本家秋葉山も行きたいですね。



だとか、要するに秋葉山登りに行きたいと色々とぼやいていましたが、今回、ようやくその山に登ってきました。なお、今回の聖地巡礼は、いつものような公共交通を使い倒す旅ではございません。とあるインターネットグループのメンバーに車を出していただきました。この場を借りてお礼申し上げます。


この山についてもう少し詳しく説明すると、秋葉山は、静岡県浜松市春野町は南アルプスの南麓に位置する、標高885メートル(国土地理院)(866メートル表記もあり、ウィキペディア)の山です。
恐らく本殿のある標高と、山としての最高地点の違いとおもわれます。

社殿の建立は709年と非常に古く、古来から火防の神として信仰を集めていました。その後修験道などと結びついた神仏集合の山として知られるようになり、江戸時代には爆発的な人気を集め、「秋葉大権現」が誕生。明治に権現はイザナミから生まれた「ヒノカグツチ」と改められ、現代にいたります。

一方、何かとヲタクの聖地として知られる(文化の発信地は現在は池袋に移転しつつあるものの、長きにわたってそうであるので)東京千代田区の秋葉原は、当時の住民が秋葉大権現を信仰していたこと、また明治2年の大火の際、火避け用の空き地に秋葉大権現が祀られたことに由来します。

そしてヲタクと言えば、カタカナを使えばフィルムツーリズム、俗な言い方をすれば「聖地巡礼」をしたがる種族です。

と言う事で、ヲタクが何かと聖地巡礼をしたがるのなら、「秋葉原の聖地」を巡礼したいね、というわけだったのです。

20210219_091035
と言う事で新幹線は浜松で乗り換えて西鹿島駅到着。独自のICカード作るのはいいにしても。それ専用ってのはどうかと思う。SUICAが色々と反応しなかったのでめっちゃ慌てました。

ここで車に乗り込んで朝食を買ったり、山道を走って30分、

DSC06969
秋葉山下社に到着。この時点ですでにありがたい。ちなみに観光案内所のような、土産物屋のような場所は、このご時世の影響ゆえか、ご多分に漏れず、でした。もしくは、過疎化。

DSC06970
滅茶苦茶立派な神社でした。入り口からして有難いです。
ちなみに。毎年裸祭りを開催している、みたいなポスターが貼ってありました。西大寺の裸祭りかよ。

DSC06972
ただし、下社の本殿は絶賛改良工事中でした。

さて。今回の主目的は登山。と言う事で、ヴィクトリアで購入したモンベル一式を着こんで登山します。(今までの高尾はこれこそ新宿に出没するような私服で登っていましたw)

DSC06975
3.6キロ、115分。勾配でいうと、平均200パーミル程度でしょうか。中々えげつなかったです。
高尾は4.0キロを70分です。のんびり街歩きする程度か。

20210219_112647
分ってはいたものの、無限にこんな感じ。石が転がっていたり、雪が残っていたり。ただ、現在もそれなりに信仰が多い分、登山道はしっかりと整備されていました。なので、ただ肺とヒラメ筋と大殿筋が物凄く疲労した程度です。なお、ペース配分を間違えたせいで序盤に途轍もない吐き気、に見舞われました。多少休憩したら治ったので、モウマンタイ。

DSC06980
茶屋跡。昭和62年まで営業していたようです。なお、廃業理由が過疎化や信仰の薄れではなく、店主の年齢によるものとのことで。舗装路も無ければオフロードカーも入れないような山道ですから、恐らく毎日文字通りの登山をやっていたのでしょう、とするとかなりの健脚ですね。

この店主はたまに出くわす、山伏のように足の速い婆さんだったのでしょうか。

DSC06982
茶屋跡を超えるとすぐにアララト山、ではなく、山頂で不老不死の薬焼かないとですね。きわめて快晴であったので、山頂がはっきりと見えますね。有難い限りです。

DSC06983
秋葉山秋葉寺(あきはさん・しゅうようじ)の山門。明治になって神仏分離が行われた際に誕生しました。(ただ秋葉寺のホームページを見るとこちらが本物で山頂の神社はジェネリックだとか後発神社だとか書いてあります、そんなことではりあうなや。)

DSC06984
本堂。しっかりとゴータマ・シッダールタも坐しておられました。

DSC06993
途中、崩れた灯篭が有ったり、補修工事を行っていたり。要するに工事をするに値するだけの信仰がある、という事なのでしょう。

DSC06986
そこから少しで、山頂に到達。ふもとから大体2時間20分程度かかりました。正一位秋葉神社、家紋(?)は紅葉。

ということで、聖地の聖地巡礼、達成です。なお、ガバが多すぎるのでリアル登山アタックではないです。

DSC06990
本殿の金色が映えますが、これは戦時中の山火事で焼失したのを、昭和末期に再建したためです。築35年くらいと、こう書くとそこそこ古めに聞こえますが、神社建築としてはかなり新しいと思われ。

なお、山頂から普通に浜松の市街地や遠州灘の絶景が臨めるので、山そのものが信仰の対象と言っても過言ではないです。あと普通に体力がつく。その絶景はと言いますと、疲労であまりいい写真を撮れていなかったので、登って肉眼レフで確かめてください。んでもって、網膜の奥にしかとやきつけてください。


DSC06989
お御籤も特殊仕様になっていました。めっちゃ映えます。なお、引かなかった模様。

DSC06992
なお、山頂の茶屋は定休でした。おいしそうなシイタケの天丼とかあったのですが、ありつけず残念。某キャンプアニメで定番のカップ麺カレー味を頂きました。

DSC06995
下山。それにしてもこの山を登っていたんか・・・ただただありがたい山でした。




DSC06997
その後は秋葉ダムほとりの温泉(龍山村)で疲れを癒したり、げんこつハンバーグでさわやかしたりしてました。






では。
自己紹介

金音ニトロ

音響や旅行が好きな、ありふれたホモサピエンスの端くれ。多摩県八王子市北野区から茨城県の某所へ。地理や地図、天文と言語も好き。元ごちうさ難民。

Twitter
APIの仕様変更により表示されなくなりました。 twitter.com/kanane_nitro より検索ください。
マストドン
読者登録
LINE読者登録QRコード
これまでの来客者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新記事