どうも、金音ニトロです。
中途半端に時間が余ったので、観光マップに取り上げられていた落立神社をみにいきます。事前情報によると、伊弉諾が祭神の、身体健康を賜れるかんさびた雰囲気で、良い神社とのこと。
だいたい800メートル程度坂を上るだけなので、まあいい運動にはなるでしょう。
と思った矢先のこれ。見事に工事中で、ものすごい迂回をさせられる羽目に。
これによって、片道2キロほど伸びました。冗談抜きでとんでもない迂回だ。とはいっても、地元民はほとんど車を利用すると思われるので、然したるデメリットでもないのでしょうか。
しかたがないのでおとなしく引き返します。
棚田。どこにでもある普通の棚田ですが、椎葉村から高千穂にかけての一帯の棚田が美しいという事で、2015年に世界農業遺産に認定されている美景のようです。
ちょうどいいところにバス停があったので、そこでバスを待ちます。山にのぼるバスが1本、山からくだるバスが2本。すくねえ。とはいえ、延岡から高千穂から岩戸から土呂久方面と、何回も乗り継いでいく必要があるので、ますます人が少ないのか・・・。
ですが。1日1往復半のバスがいい感じの時間に来るのを事前に知っていたので、ふもとに戻るついでにそのバスを乗り鉄します。ちなみに本来で有れば乗れないバスです。というのはどういう意味かというと。西村京太郎。ではなく。
先の迂回路のせいで、バスも迂回を強要されているため、ここ落立神社の最寄りバス停では何と35分も普段よりも遅い時間になっています。なお、本来であれば数分の乗り継ぎで高千穂行のバスに乗り継げるようになっているようです。
来ました。やはりというか80条バスでした。こういうバスに巡り合えるのはワクワクします。
ところで、多くの方はご存知かと思いますが[要出典]、80条バスとは、公共の福祉のためにやむを得ない場合に、国交省の認可を受けて白バスを運行できる、と言うものです。そのコミュニティバス(80条バス)の運行にはある程度の基準があり、その一つにこれを下回ると補助金が出なくなる、と言うものがあります。それが
なのですが。なのですが。
どういうこっちゃねん。誰も乗っとらんやんけ。大丈夫かいな・・・。
ふもとに戻ってきて1時間ほど暇なので、近くの交流センターとその迎えの飯屋で時間をつぶします。
1日しか時間がないのに、時間を余らすとは此は如何に。
ちょうどひな祭り期間中であったので、三月人形が飾られていました。大正時代の古い人形のようです。
立派な7段飾り。どこに誰が座っているのかすっかり忘れてしまってました。こういう知識を持ち込んでいればもっと楽しく鑑賞できたんだろうなあと。
周囲の竹にも人形(なぜかピカチュウとかドラえもんとかもいました)が安置されていたのですが、無を安置しているものを発見。もとは何を飾ってあったのだろう。初めから無だったのかな。それとも我々には無に見えるだけで、ほんとうは何かが安置されていて、世界の神々やナイアーラトテップのような高次元の存在だけが鑑賞可能なのでしょうか?
なんとか1時間潰して、バスを乗り継いでふもとに戻り、荒立神社に向かいます。
荒立神社は、初代踊り子のアメノウズメと、天孫降臨の案内人であるサルタヒコが結婚した際に、この地に建立したとされている神社です。ちなみにこの鳥居から伸びる参道と並行するように高千穂線の廃線跡が通っていて、時間があえばトロッコがとことこ走っていくのを観測できます。5分ほど張っていたのですが、残念ながら来ず。
その拝殿。雰囲気は抜群に良いですが、なにやら中がおかしいことになってます。
何故かエタノール含有飲料が大量に奉納されていました。彼らがのん兵衛なのかは定かではないですが、それにしても謎です。一応、ニニギの結婚相手であるコノハナサクヤの親であるオオヤマツミが酒の神とも言われていますが、しかしアメノウズメとサルタヒコと酒の関係が良く分からぬ。もしくは友達の友達の友達みたいな関係ならもはや同一人物という事なのでしょうか?あまりにも乱暴すぎるし、アメノウズメかサルタヒコのどちらかが酒豪だったという事なのでしょう。
お賽銭と二礼二拍一礼をして、荒立神社をあとにします。
この時点ですでに15キロほど歩いていまして、思ったよりも起伏にやられているのでこの奥にある温泉で要入浴状態をいったんリセットすることも考えたのですが、ここで温泉に入ってしまうと間違いなく風呂上がりの休憩室で爆睡ルートに突入するので我慢。というより旅館に戻れば風呂があるし、その後心置きなく寝落ちできる。
最後に高千穂の起伏の激しさを一望できる橋に向かいます。
青葉大橋。橋の長さが270メートルのコンクリートアーチ橋です。朝に訪れた真名井の滝の1キロほど下流に架橋された橋です。
その橋の真ん中あたりから見た五ヶ瀬川はめちゃくちゃ遠いところにあります。橋の高さはわかりませんが、おそらく100メートルはゆうに超えていると思われます。普通に怖い。こんなに山奥なら周りに家のひとつもないのでしょう・・・となりがちですが。
なんだよこれ。なんだよこれ。何かがバグっている。葦原中つ国の生成時の起伏がバグっているのか、川のスポーン位置がバグっているのか、それともホモサピエンスが生息する場所を間違えたか、俺の九州に対する理解が浅いか。
その後、やはり飯屋はクローズしていたので近くのドラッグストアでお弁当を買って旅館に戻り、それを夕食としました。おともは檸檬堂でした。その後たっぷりと風呂に浸かって、爆睡ルートに突入したようです。
おまけ
3日目は1日掛けて帰るだけだったのでほとんど写真を撮っていない(たったの17枚)のですが、博多でうどん巡りをしたのでその様子を少しだけ。
まず1軒目は一蘭。うどんでもなくただのラーメンで、しかも全国展開していて、博多感すら皆無ですが、いちおう博多の豚骨ラーメンなので。味付けは感謝の5倍唐辛子です。最近はカップ麺も出てきているので、もはや勝手知ったる味です。中々売っていないしカップ麺にしては高いのはそれとして。あれ。5倍ってたかだかその程度でしたっけ。
気を取り直して2軒目は大地のうどん。博多うどんだと思って意気揚々と入りましたが、実態は福岡市民に人気な、豊後のうどん(讃岐の半分程度のコシをもったうどん)でした。1番人気はめっちゃデカい牛蒡天麩羅の乗ったうどんですが、今回頼んだのはそれではなく、次点あたりの肉うどんです。
もう一回気を取り直して、きちんと博多うどんの場所を調べて、三度目の正直は博多うどんのチェーン店はウエストの博多うどん。博多のひとつとなりは祇園駅の近くの店舗です。これだこれだ、コシよりもモチモチを重視したうどん。明太子入りのカマ玉うどんで、博多名物をいいとこどりしました。
なお、なぜだか知りませんが明太子がめちゃくちゃ塩辛かった。
中州や天神や姪浜には行きませんでした。
では。
中途半端に時間が余ったので、観光マップに取り上げられていた落立神社をみにいきます。事前情報によると、伊弉諾が祭神の、身体健康を賜れるかんさびた雰囲気で、良い神社とのこと。
だいたい800メートル程度坂を上るだけなので、まあいい運動にはなるでしょう。
と思った矢先のこれ。見事に工事中で、ものすごい迂回をさせられる羽目に。
これによって、片道2キロほど伸びました。冗談抜きでとんでもない迂回だ。とはいっても、地元民はほとんど車を利用すると思われるので、然したるデメリットでもないのでしょうか。
しかたがないのでおとなしく引き返します。
棚田。どこにでもある普通の棚田ですが、椎葉村から高千穂にかけての一帯の棚田が美しいという事で、2015年に世界農業遺産に認定されている美景のようです。
ちょうどいいところにバス停があったので、そこでバスを待ちます。山にのぼるバスが1本、山からくだるバスが2本。すくねえ。とはいえ、延岡から高千穂から岩戸から土呂久方面と、何回も乗り継いでいく必要があるので、ますます人が少ないのか・・・。
ですが。1日1往復半のバスがいい感じの時間に来るのを事前に知っていたので、ふもとに戻るついでにそのバスを乗り鉄します。ちなみに本来で有れば乗れないバスです。というのはどういう意味かというと。西村京太郎。ではなく。
先の迂回路のせいで、バスも迂回を強要されているため、ここ落立神社の最寄りバス停では何と35分も普段よりも遅い時間になっています。なお、本来であれば数分の乗り継ぎで高千穂行のバスに乗り継げるようになっているようです。
来ました。やはりというか80条バスでした。こういうバスに巡り合えるのはワクワクします。
ところで、多くの方はご存知かと思いますが[要出典]、80条バスとは、公共の福祉のためにやむを得ない場合に、国交省の認可を受けて白バスを運行できる、と言うものです。そのコミュニティバス(80条バス)の運行にはある程度の基準があり、その一つにこれを下回ると補助金が出なくなる、と言うものがあります。それが
【地域間幹線系統】
① 複数市町村にまたがるもの
② 1日当たりの計画運行回数が3回以上のもの
③ 輸送量が15人~150人/日と見込まれるもの
【地域間幹線系統】
イ.路線再編により、従来の補助対象系統を基幹系統と支線系統に分ける場合の再編後の系統
⇒ ・ ①及び③の要件の適用除外
⇒ ・支線系統における小型車両(乗車定員7~10人)の補助対象化
ロ.イ.の対象となる系統以外の系統
⇒ ・③の要件の緩和(最低輸送量:3人/日)
なのですが。なのですが。
どういうこっちゃねん。誰も乗っとらんやんけ。大丈夫かいな・・・。
ふもとに戻ってきて1時間ほど暇なので、近くの交流センターとその迎えの飯屋で時間をつぶします。
1日しか時間がないのに、時間を余らすとは此は如何に。
ちょうどひな祭り期間中であったので、三月人形が飾られていました。大正時代の古い人形のようです。
立派な7段飾り。どこに誰が座っているのかすっかり忘れてしまってました。こういう知識を持ち込んでいればもっと楽しく鑑賞できたんだろうなあと。
周囲の竹にも人形(なぜかピカチュウとかドラえもんとかもいました)が安置されていたのですが、無を安置しているものを発見。もとは何を飾ってあったのだろう。初めから無だったのかな。それとも我々には無に見えるだけで、ほんとうは何かが安置されていて、世界の神々やナイアーラトテップのような高次元の存在だけが鑑賞可能なのでしょうか?
なんとか1時間潰して、バスを乗り継いでふもとに戻り、荒立神社に向かいます。
荒立神社は、初代踊り子のアメノウズメと、天孫降臨の案内人であるサルタヒコが結婚した際に、この地に建立したとされている神社です。ちなみにこの鳥居から伸びる参道と並行するように高千穂線の廃線跡が通っていて、時間があえばトロッコがとことこ走っていくのを観測できます。5分ほど張っていたのですが、残念ながら来ず。
その拝殿。雰囲気は抜群に良いですが、なにやら中がおかしいことになってます。
何故かエタノール含有飲料が大量に奉納されていました。彼らがのん兵衛なのかは定かではないですが、それにしても謎です。一応、ニニギの結婚相手であるコノハナサクヤの親であるオオヤマツミが酒の神とも言われていますが、しかしアメノウズメとサルタヒコと酒の関係が良く分からぬ。もしくは友達の友達の友達みたいな関係ならもはや同一人物という事なのでしょうか?あまりにも乱暴すぎるし、アメノウズメかサルタヒコのどちらかが酒豪だったという事なのでしょう。
お賽銭と二礼二拍一礼をして、荒立神社をあとにします。
この時点ですでに15キロほど歩いていまして、思ったよりも起伏にやられているのでこの奥にある温泉で要入浴状態をいったんリセットすることも考えたのですが、ここで温泉に入ってしまうと間違いなく風呂上がりの休憩室で爆睡ルートに突入するので我慢。というより旅館に戻れば風呂があるし、その後心置きなく寝落ちできる。
最後に高千穂の起伏の激しさを一望できる橋に向かいます。
青葉大橋。橋の長さが270メートルのコンクリートアーチ橋です。朝に訪れた真名井の滝の1キロほど下流に架橋された橋です。
その橋の真ん中あたりから見た五ヶ瀬川はめちゃくちゃ遠いところにあります。橋の高さはわかりませんが、おそらく100メートルはゆうに超えていると思われます。普通に怖い。こんなに山奥なら周りに家のひとつもないのでしょう・・・となりがちですが。
なんだよこれ。なんだよこれ。何かがバグっている。葦原中つ国の生成時の起伏がバグっているのか、川のスポーン位置がバグっているのか、それともホモサピエンスが生息する場所を間違えたか、俺の九州に対する理解が浅いか。
その後、やはり飯屋はクローズしていたので近くのドラッグストアでお弁当を買って旅館に戻り、それを夕食としました。おともは檸檬堂でした。その後たっぷりと風呂に浸かって、爆睡ルートに突入したようです。
おまけ
3日目は1日掛けて帰るだけだったのでほとんど写真を撮っていない(たったの17枚)のですが、博多でうどん巡りをしたのでその様子を少しだけ。
まず1軒目は一蘭。うどんでもなくただのラーメンで、しかも全国展開していて、博多感すら皆無ですが、いちおう博多の豚骨ラーメンなので。味付けは感謝の5倍唐辛子です。最近はカップ麺も出てきているので、もはや勝手知ったる味です。中々売っていないしカップ麺にしては高いのはそれとして。あれ。5倍ってたかだかその程度でしたっけ。
気を取り直して2軒目は大地のうどん。博多うどんだと思って意気揚々と入りましたが、実態は福岡市民に人気な、豊後のうどん(讃岐の半分程度のコシをもったうどん)でした。1番人気はめっちゃデカい牛蒡天麩羅の乗ったうどんですが、今回頼んだのはそれではなく、次点あたりの肉うどんです。
もう一回気を取り直して、きちんと博多うどんの場所を調べて、三度目の正直は博多うどんのチェーン店はウエストの博多うどん。博多のひとつとなりは祇園駅の近くの店舗です。これだこれだ、コシよりもモチモチを重視したうどん。明太子入りのカマ玉うどんで、博多名物をいいとこどりしました。
なお、なぜだか知りませんが明太子がめちゃくちゃ塩辛かった。
では。