悠々自適にメモ帳開いて。


どうも、金音ニトロです。日常だったり、
非日常だったり取るに足らない事を、
気が向いたらそこはかとなく更新します。
珈琲でも一気飲みしながらまったりとご覧ください

2022年03月

聖地巡礼をしに高千穂へ行ってきた。その5(荒立神社)

どうも、金音ニトロです。


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中途半端に時間が余ったので、観光マップに取り上げられていた落立神社をみにいきます。事前情報によると、伊弉諾が祭神の、身体健康を賜れるかんさびた雰囲気で、良い神社とのこと。

だいたい800メートル程度坂を上るだけなので、まあいい運動にはなるでしょう。

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と思った矢先のこれ。見事に工事中で、ものすごい迂回をさせられる羽目に。
これによって、片道2キロほど伸びました。冗談抜きでとんでもない迂回だ。とはいっても、地元民はほとんど車を利用すると思われるので、然したるデメリットでもないのでしょうか。

しかたがないのでおとなしく引き返します。

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棚田。どこにでもある普通の棚田ですが、椎葉村から高千穂にかけての一帯の棚田が美しいという事で、2015年に世界農業遺産に認定されている美景のようです。

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ちょうどいいところにバス停があったので、そこでバスを待ちます。山にのぼるバスが1本、山からくだるバスが2本。すくねえ。とはいえ、延岡から高千穂から岩戸から土呂久方面と、何回も乗り継いでいく必要があるので、ますます人が少ないのか・・・。
ですが。1日1往復半のバスがいい感じの時間に来るのを事前に知っていたので、ふもとに戻るついでにそのバスを乗り鉄します。ちなみに本来で有れば乗れないバスです。というのはどういう意味かというと。西村京太郎。ではなく。


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先の迂回路のせいで、バスも迂回を強要されているため、ここ落立神社の最寄りバス停では何と35分も普段よりも遅い時間になっています。なお、本来であれば数分の乗り継ぎで高千穂行のバスに乗り継げるようになっているようです。

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来ました。やはりというか80条バスでした。こういうバスに巡り合えるのはワクワクします。
ところで、多くの方はご存知かと思いますが[要出典]、80条バスとは、公共の福祉のためにやむを得ない場合に、国交省の認可を受けて白バスを運行できる、と言うものです。そのコミュニティバス(80条バス)の運行にはある程度の基準があり、その一つにこれを下回ると補助金が出なくなる、と言うものがあります。それが


【地域間幹線系統】
① 複数市町村にまたがるもの
② 1日当たりの計画運行回数が3回以上のもの
③ 輸送量が15人~150人/日と見込まれるもの

【地域間幹線系統】
イ.路線再編により、従来の補助対象系統を基幹系統と支線系統に分ける場合の再編後の系統
⇒ ・ ①及び③の要件の適用除外
⇒ ・支線系統における小型車両(乗車定員7~10人)の補助対象化
ロ.イ.の対象となる系統以外の系統
⇒ ・③の要件の緩和(最低輸送量:3人/日)


なのですが。なのですが。

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どういうこっちゃねん。誰も乗っとらんやんけ。大丈夫かいな・・・。

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ふもとに戻ってきて1時間ほど暇なので、近くの交流センターとその迎えの飯屋で時間をつぶします。
1日しか時間がないのに、時間を余らすとは此は如何に。

ちょうどひな祭り期間中であったので、三月人形が飾られていました。大正時代の古い人形のようです。

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立派な7段飾り。どこに誰が座っているのかすっかり忘れてしまってました。こういう知識を持ち込んでいればもっと楽しく鑑賞できたんだろうなあと。

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周囲の竹にも人形(なぜかピカチュウとかドラえもんとかもいました)が安置されていたのですが、無を安置しているものを発見。もとは何を飾ってあったのだろう。初めから無だったのかな。それとも我々には無に見えるだけで、ほんとうは何かが安置されていて、世界の神々やナイアーラトテップのような高次元の存在だけが鑑賞可能なのでしょうか?

なんとか1時間潰して、バスを乗り継いでふもとに戻り、荒立神社に向かいます。

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荒立神社は、初代踊り子のアメノウズメと、天孫降臨の案内人であるサルタヒコが結婚した際に、この地に建立したとされている神社です。ちなみにこの鳥居から伸びる参道と並行するように高千穂線の廃線跡が通っていて、時間があえばトロッコがとことこ走っていくのを観測できます。5分ほど張っていたのですが、残念ながら来ず。

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その拝殿。雰囲気は抜群に良いですが、なにやら中がおかしいことになってます。

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何故かエタノール含有飲料が大量に奉納されていました。彼らがのん兵衛なのかは定かではないですが、それにしても謎です。一応、ニニギの結婚相手であるコノハナサクヤの親であるオオヤマツミが酒の神とも言われていますが、しかしアメノウズメとサルタヒコと酒の関係が良く分からぬ。もしくは友達の友達の友達みたいな関係ならもはや同一人物という事なのでしょうか?あまりにも乱暴すぎるし、アメノウズメかサルタヒコのどちらかが酒豪だったという事なのでしょう。

お賽銭と二礼二拍一礼をして、荒立神社をあとにします。

この時点ですでに15キロほど歩いていまして、思ったよりも起伏にやられているのでこの奥にある温泉で要入浴状態をいったんリセットすることも考えたのですが、ここで温泉に入ってしまうと間違いなく風呂上がりの休憩室で爆睡ルートに突入するので我慢。というより旅館に戻れば風呂があるし、その後心置きなく寝落ちできる。

最後に高千穂の起伏の激しさを一望できる橋に向かいます。
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青葉大橋。橋の長さが270メートルのコンクリートアーチ橋です。朝に訪れた真名井の滝の1キロほど下流に架橋された橋です。

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その橋の真ん中あたりから見た五ヶ瀬川はめちゃくちゃ遠いところにあります。橋の高さはわかりませんが、おそらく100メートルはゆうに超えていると思われます。普通に怖い。こんなに山奥なら周りに家のひとつもないのでしょう・・・となりがちですが。

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なんだよこれ。なんだよこれ。何かがバグっている。葦原中つ国の生成時の起伏がバグっているのか、川のスポーン位置がバグっているのか、それともホモサピエンスが生息する場所を間違えたか、俺の九州に対する理解が浅いか。

その後、やはり飯屋はクローズしていたので近くのドラッグストアでお弁当を買って旅館に戻り、それを夕食としました。おともは檸檬堂でした。その後たっぷりと風呂に浸かって、爆睡ルートに突入したようです。



おまけ




3日目は1日掛けて帰るだけだったのでほとんど写真を撮っていない(たったの17枚)のですが、博多でうどん巡りをしたのでその様子を少しだけ。

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まず1軒目は一蘭。うどんでもなくただのラーメンで、しかも全国展開していて、博多感すら皆無ですが、いちおう博多の豚骨ラーメンなので。味付けは感謝の5倍唐辛子です。最近はカップ麺も出てきているので、もはや勝手知ったる味です。中々売っていないしカップ麺にしては高いのはそれとして。あれ。5倍ってたかだかその程度でしたっけ。

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気を取り直して2軒目は大地のうどん。博多うどんだと思って意気揚々と入りましたが、実態は福岡市民に人気な、豊後のうどん(讃岐の半分程度のコシをもったうどん)でした。1番人気はめっちゃデカい牛蒡天麩羅の乗ったうどんですが、今回頼んだのはそれではなく、次点あたりの肉うどんです。

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もう一回気を取り直して、きちんと博多うどんの場所を調べて、三度目の正直は博多うどんのチェーン店はウエストの博多うどん。博多のひとつとなりは祇園駅の近くの店舗です。これだこれだ、コシよりもモチモチを重視したうどん。明太子入りのカマ玉うどんで、博多名物をいいとこどりしました。
なお、なぜだか知りませんが明太子がめちゃくちゃ塩辛かった。

中州や天神や姪浜には行きませんでした。




では。

聖地巡礼をしに高千穂へ行ってきた。その4(天岩戸)

どうも、金音ニトロです。




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疫病で観光向けのご飯屋は軒並み休業、数少ない地元民向けのご飯屋を見つけて、角煮丼をいただきました。冷や汁を食いたかったが、ひとまずはありつけて一安心。

さて、バスが来るのが12時38分で、爆速参拝を決めれる時間が出来たので、気になった場所を爆速参拝します。

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まず一つ目が、天の真名井。ニニギがこの地に降りた際、水が無かったので、高天原からこの地に水を持ってきたとするものです。写真の巨樹は、その水を吸って生長したまさに神木と言ったところでしょうか。

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そして2つ目がくしふる神社。知らないと読めないし、知っていても変換できない。サムハラ神社かよ。少なくとも觸は触の舊字體なのはわかりますが、「むく」で「槵」が変換できるのは知らんて・・・。

くしふるの峰はニニギが三種の神器を賜った場所で、かつてはその山を祀るものとして信仰されていましたが、江戸時代にニニギそのものを祀る神社に変化し、その時に社殿も建立されたようです。

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槵觸神社の社殿は50段くらいの階段をあがった先にありました。二礼二拍一礼。

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何とか爆速参拝が決まったので、神代川からバスに乗って天岩戸を目指します。大体15分くらいで天岩戸、8キロ程度の延々と上り坂です。現代人なら容易に膝を壊す距離。

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天岩戸神社は東社と西社が在るようで、見た感じ西社の方が規模が大きかったので、先にパッと巡れると踏んだ東社を巡ります。

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東社は、アマテラスが天岩戸から出てきた際に、最初に住んでいたと言われている場所です。当然祭神は家主のアマテラス。

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神社の入口にアメノウズメが居ました。中にモーターが仕込まれているようで、裏のスピーカーから流れる神楽歌と連動してぐるぐる回転していました。


ところで、アマテラスが天岩戸に隠れた経緯はこうなります。

イザナギがスサノオに海を支配するよう命じる
→スサノオは黄泉の国に居るイザナミに会いたくて泣きつく
→怒ったイザナギはスサノオを高天原から追放
→仕方なく海の支配を行うが、その前にアマテラスに会いにいく
→高天原の住民はスサノオが謀反を起こしたと勘違い
→アマテラスが完全武装で出迎える
→スサノオの身の潔白を証明するためにアマテラスと誓約を行う
(この時にアメノオシホミミが誕生)
→身の潔白が証明されたので高天原で暴れまくる
→この時、天の服織女に杼が刺さって事故死
→アマテラスは甘やかしすぎたのを反省し、天岩戸に引き籠る
→世界に闇が訪れ、あらゆる禍が発生する


→オモイカネが色々と案を出す
→まず鶏を集めて、鳴かせる
→イシコリに八咫鏡を、玉祖に八尺瓊勾玉(五百箇御統(いおつみすまる)勾玉を数珠やロザリオのように大量に束ねたもの)を作らせる
→アメノウズメにストリップをさせる
→八百万の神々が一斉に笑い出す
→様子が気になってアマテラスが顔を出す
→アメノウズメが「貴方より尊い神が現れた」と鏡を見せる
→アマテラスがさらに身を乗り出したところを、アメノタヂカラヲが天岩戸を塞いでいた巨岩を長野の戸隠まで投げ飛ばす
→天岩戸に結界を張って万事解決



長野も行きたいですね。なんなら別所温泉とか鹿教湯温泉とかめぐりたい。

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拝殿はやはり長い階段と参道の奥にありました。こちらはアマテラスの仮住まいという事もあってか、神明造になっていました。ちなみにこの奥わずか数十メートルの距離に天岩戸の現場があります。何かあったらいつでも逃げれる、という事なのだろうか。たぶんちがう。

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東本宮は天岩戸の真横にあるのに対し、西本宮は天岩戸を、岩戸川をはさんだ対岸に位置しています。そのため、東本宮と西本宮との間には鳥居前町が広がっていました。

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鳥居前町を抜けた目の前に西本宮が存在しています。西本宮の主神もアマテラスですが、
なお、ふもとの高千穂神社よりも、こちらの天岩戸神社(の西本宮)の方が神社の規模もそうですが、人間の立ち入れる範囲は大きいです。

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天岩戸が見れる簡単な案内があったので、これに参加してお隠れになった現場を見ます。
天岩戸自体は撮影禁止ですが、幅20メートル、奥行き10メートルの巨大で浅い洞窟でした。もっと鍾乳洞のような、防空壕のような、奥に細長い感じかと思っていましたが、イメージと違いました。

というかそれほどのサイズの洞穴ならば、その穴をふさぐだけの巨岩をどこから拾ってきたのか、その巨岩はどれくらいの重さなのか、その石を長野まで投げ飛ばす腕力はいかほどなのか、めちゃくちゃ気になります。

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ちなみに西本宮の拝殿からは絶対に天岩戸本体は見えないようになっています。この拝殿の奥にある遥拝所からしか見えないような設計になっているので他の場所からも見えません。

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東本宮西本宮の参拝が済んだので、八百万の神々がアマテラスを現世に連れ戻すための会議が開かれたという、天安河原に向かいます。

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河原に降りた瞬間からこの絶景。ものすごくかんさびた雰囲気です。となると洞窟をふさいだ巨岩はここから引きずってきたのかもしれないです。天安河原から天岩戸まで500メートルくらいありますが神なので何とかなったでしょうか。

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そこから更に数分奥に進むと、雨風をしのげる洞窟がありました。むしろこの洞窟の方が天岩戸っぽい雰囲気すらあるのですが、下流の浅い洞窟の方が天岩戸で、上流にあるこちらは会議室のようです。収容柱数がデカかったからかな?

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洞窟内から撮影してみます。何ともすごい場所で会議を行っているなあ・・・神々は闇の中で会議を行っていたわけですが、すくなくとも夜には訪れたくない場所です。喜ばしくない何かが残留しているかもしれないですし。

というか天安河原にある石という石が無駄に丁寧に積まれていました。こうなるとロックバランシングというより、賽の河原なわけですが・・・。親より先に死んだ子供と言えばヒノカグツチが思い浮かびますが、彼が今の今までこの地に残留していたか、もしくは会議に参加していたかして、暇つぶしにずっと積み上げていたのでしょうか?

確かに八咫鏡と五百箇御統を作る時間で、根気さえあればできなくもなさそうですが、ヒノカグツチでもない限りやりたくはないです。というか生まれてきた瞬間に親に*されるのでヒノカグツチになりたくないです。






では。

聖地巡礼をしに高千穂へ行ってきた。その3(高千穂駅)

どうも、金音ニトロです。


高千穂神社をあとにして、道の駅とがまだせ市場で買い物したりしながら坂をのぼりつつ。

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地図にない線路が見えてきました。単線非電化ですが、やけに高規格。

この路線は、旧国鉄の高千穂線です。

熊本と延岡を結ぶ路線として建設がスタートし、熊本側は1928年に高森まで、延岡側は1972年に高千穂まで建設がすすみました。この時、高森側が国鉄高森線、高千穂側が国鉄高千穂線として営業されるようになります。が、国鉄の資金難や高森側での異常出水によって建設は断念、高千穂から高森までつながることは無く、その後両者は仲良く三セク転換。平成17年の水害によって橋梁が流出、全線が休止され、平成20年に敢え無く廃線となってしまった路線です。

熊本側も平成28年の水害で一部運休になっていますが、大丈夫なのでしょうか・・・?
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高千穂線は現在、高千穂駅と高千穂橋梁との間でトロッコ鉄道が運行されているので、それに乗り鉄をしに来たわけです。

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休止当時の時刻表。観光列車ふくめ1日15往復が確保されていました。現存する鉄道路線でこれより少ない路線はそこそこあるので、かなり頑張っていた方なのかもしれないです。
京都行は、寝台特急彗星でしょうか。あったら間違いなく乗っていたでしょう。
なお現在は、熊本からの特急バス2本(運休中)、バイパス経由7本、旧道経由6本の合計15本(13本)。ああ、なるほど。(とおもって天北線を見たらとんでもないことになっていた)

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と、運賃表。まさかの駅ナンバリング順ではなくアイウエオ順。なぜこんな分かりにくい仕様にしたし。なお、廃止代替バスで延岡まで行くと1820円で、かなり値上がりしてます。

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当時使われていた券売機。こちらは距離順に並んでいました。だったらホワイトボードも距離順でたのみますよ。日之影温泉までの往復券が発券されているあたり、意外とそういう需要が多かったのでしょうか。

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なお、高千穂駅は広々とした駅構内に1面2線の狭いホーム、その奥に車庫があり、当時使用されていた気動車が安置されていました。それにしても線路が高規格で、相当お金をかけて建設したのだろうという事がうかがえます。

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TR200とTR100。定員100人ていどのレールバスです。快速運転をおこなっていたようで、その幕が表示されていました。

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駅の奥には高森に向かって線路が続いていて、15分に1本熊本行きの電車が来る。直流1500ボルト。の夢はかなわず。仕方がないので途中のトンネルをワイナリーの貯蔵庫として利用しているようです。2日取れればなあ。しかし無情にも日本は広く、宮崎は遠すぎた。



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そんなこんな言ってる間に、ちゃんと列をなしている列車が到着。2500CCエンジンを積んだ、トロッコ列車です。高千穂橋梁を目指します。

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列車に乗り込んで、天岩戸へ向け出発。画像では分かりにくいですが、乗ってみるとかなりの急勾配をくだっています。やはりその通りで、延々と続く下り坂の最大勾配は25パーミルと、鉄道にとってはかなり鬼畜な急坂を強引に最短距離で結んでいるわけでした。瀬野八が22パーミル、山形新幹線の板谷峠が38パーミルであり、それに匹敵するレベルです。

なお、日之影温泉から延岡側は戦前に建設された、五ヶ瀬川沿いをくねくねと風光明媚に進むのに対し、高千穂側は戦後の鉄道公団によって建設された、トンネルと橋梁を多用した高規格で直線的な路線です。だからこうやって廃止後もトロッコ列車を運行できているのでしょうか。仮に下流域のトロッコ列車だとしたらすぐに自然に還って維持が大変そうだ・・・。



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そうこうしているうちに列車は天岩戸駅に到着。最寄り駅とはいえ、天岩戸神社までは相当に距離があります。そのためか、利用者は3人程度とかなりの秘境駅じみた雰囲気だったようです。

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そのすぐ近くには、現存する鉄道橋では日本一高い高千穂橋梁があり、列車はそこで一時停止。高千穂橋梁の高さは105メートル。よくもまあこんなところに架橋をしたよ。圧巻と言うか、もはや「怖い」の領域に片足を突っ込んでいます。

普通列車であれば当然天岩戸駅に停車をするので、ここで当然減速をしていたはず。となると、強風の日は相当揺れたのではないかと思われます。しかしなぜそんな無茶な架橋を

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良い感じに風が吹いていたので、運転手と車掌がシャボン玉を出していました。なお、風が強すぎると橋を渡れません。

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橋を渡れないというより、天岩戸駅側にゲートがあり、強風時はこのゲートが閉ざされるわけです。

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しばらくすると列車は動き出し、橋を渡り切ってトンネルの入り口で折り返します。このトンネルが高千穂線内最長トンネルで3000メートルあり、このトンネルを通る計画も持ち上がっているのですが、トンネル内で町境を挟むことから、現在日之影町と交渉中のようです。日本一高い橋梁と、高千穂線最長のトンネルが同居するあたり、このあたりの地形の複雑さがうかがえます。

そして列車は今来た道を引き返します。2017年ごろに軽トラを改造したトロッコから現在のトロッコに改良されたとはいえ、やはり25パーミルの登り勾配。行きと比べてエンジン音がかなりけたたましく響き渡っていました。逆に軽トラトロッコ当時の、帰りのエンジン音はどんなものだったのか、むしろ体験して見たかった。

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そんなこんなで高千穂駅に戻ってきました。





次はさらに山を登ります。





では。

聖地巡礼をしに高千穂へ行ってきた。その2(真名井の滝・高千穂神社)

どうも、金音ニトロです。


南国宮崎とは言いつつ、高千穂は普通に寒かった。が、なぜか暖房をつけずとも爆睡できました。


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ちなみに朝ごはんはパンを自分で焼いて茹で卵と共に頂くタイプのものでした。

今回の旅で取った宿が高千穂峡のかなり近くにあったので、まずはそれを抑えます。

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途中こんな看板を発見。ちょっと都市に出るだけでもこの距離。およそふざけた距離ですが、距離がふざけている分高千穂内のインフラはそこそこだった印象があります。にしても、あまりに隔絶された秘境である。

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高千穂峡は阿蘇の噴火と五ヶ瀬川の浸食によって作られた、高さ約100メーターの断崖絶壁で、その渓谷美から昭和9年に天然記念物に指定されているほどです。
で、そのスケールの通り、水面に向かうには鬼のような勾配の坂道を下っていく必要があります。
行きはまだ下るだけで良いのですが、帰りにこの勾配を登るわけでして。地獄が見えます。

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で、これが真名井の滝・・・・ではなく、その道中に平然と生えていた、モブづらをした滝です。一応名前がついており、玉垂の滝というらしい。ちなみにこのすぐ上に道路を走っていることを考えると、いかに勾配というか谷底が深いかがわかります

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そこから更に5分くらい下ると、ようやく本命の滝が姿を現しました。
12万年前と9万年前の阿蘇山の噴火によって降り積もった凝灰岩を、五ヶ瀬川が削った地形に流れ込む滝です。
日本神話に従うと、かつてアマテラスの住んでいた土地にニニギが天孫降臨を行い、その際に水が無かったので天押雲が高千穂の地に高天原から水を持ってきた、という記述が存在するので、おそらく7万年前くらいの出来事なのでしょう。となるとアマテラスは阿蘇噴火のずっと前に住んでいたという事なのでしょう。(とすると鬼界カルデラが爆発して九州の縄文文化が軒並み消滅したうんぬんはどう反映されてるんだろうか)

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おのころ池。五ヶ瀬川の途中にあるこの池が真名井の滝の水源のひとつになっています。おのころ池にある岩が「おのころ島」らしいです。どうでもいいけどおのころってイザナギとイザナミが最初に作った島(ようするに淡路島、友ヶ島のあたり)じゃないの・・・?淡路島も行きたいですね、おいしいたまねぎを食ったりしながら。

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おのころ池には当然ヌシが住んでいるようで、そのヌシのためにささげる神饌が置いてありました。どこにでもあるな。なお、ヌシは餌場の前でスタンバって居ました。やはりいくら古事記の聖地といえど、俗人によって分からせられてしまっていました。かわいいやつめ。



本当はボートに乗りたかったのですが、さすがに今日1日で高千穂全部回る事を考えると時間が取れなさそうだったのでパス。同時に淡水魚水族館もパス。という建前で、本音は早くあの地獄みたいな上り坂を片付けたかった。





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だいたい20分くらい坂を上って高千穂神社に到着。あの坂は本当に高尾並みにありました。
ニニギ、コノハナサクヤ、ホオリ、ウガヤフキアエズが祀られている神社で、その後源頼朝が杉を植えたり、大正14年に秩父宮が御幸あらせられたり、現在は別表神社(特別扱いされている神社)となっている神社です。
なお、旧社格(戦前までの神社の分類)では官幣神社・・・ではなく、ただの村社だったようです。なんでだ。


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一目でわかる、このありがたさ。まさに木々によって作り出された「神域」で、もじどおり「かんさびた」雰囲気を感じます。

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疫病で夜神楽はやっていなかったものの、手水舎からは水が出ていました。疫病対策として水は出さず、替りにアルコールが置かれているところもそこそこ見ましたので、これは意外。

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階段を上ると拝殿があります。人間が踏み入れられる面積こそ小さいですが(というよりも、その奥に広がる鎮守の森的な領域がかなり大きい)、かなり手入れがされていました。苔むした燈籠もかわいい。
つくりとしては流造で平入です。どうやら神明造ではないようです。
流造は神明造の発展形として誕生した建築様式なのですが、その神明造が伊勢神宮に代表される建築様式・・・
この時点ですこしだけ矛盾を感じますが、おそらく後世に何かあったのでしょう。もしくは全くの無関係か。神代のものにたかだか2000年の新旧で言い争うのもアレか。

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秩父杉。樹齢800年の、頼朝の代理人が植樹した杉です。周囲7メートル、高さ55メートルの巨樹になっていました。

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その近くには要石がありました。垂仁天皇の時代にこの地に鎮座されたもので、おそらく当時流行った疫病を鎮める目的で安座されたのでしょう。ところでオミクロンを鎮める「石」ってなんだ?アストラゼネカ?C2H5OH?セバストポリ?



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拝殿の横には神楽殿がありまして。本来であれば毎晩ここで夜神楽が行われているのですが、ちょうど休止期間中で、ただの空き部屋となっていました。

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なんともタイミングが悪いというかなんというか。

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内部はかなり広く、100人くらいなら余裕で入れそうな会場です。本来であればそれだけ人数を収容して大規模に夜神楽を行ってるのでしょう。一生悔やまれます。





次回は一気に時代を飛んで昭和平成の跡地に向かいます。






では。

聖地巡礼をしに高千穂へ行ってきた。 その1(八王子~高千穂)

どうも、金音ニトロです。

春休みに入ったので、この期間を利用して遠くに行ってきました。

前回出雲を回ったので、今回は高千穂です。伊勢は最後になりました。
高千穂と言えば宮崎県の山奥なわけなのですが、そこまでのアクセスがかなり遠い。というのもおそらくの最速ルートが羽田空港から宮崎空港に行き、そこから日豊線に揺られて1~2時間、そこから路線バスで2時間、とまあ馬鹿みたいに時間がかかるわけです。しかも、航空料金が高く、全日空で片道4万円ほどだったような気がします。
その金額があれば新幹線で博多を往復できてしまうので、それならばと陸路を使って西へ行きます。というか航空料金高すぎるだろ。

しかしバスの方も、疫病のせいで博多~延岡便が減便を食らっていたり、当初予定していた熊本~延岡便が全便運休だったりと、秘境がさらに秘境になっていました。九州新幹線乗りたかった。残念。
九州新幹線の夢がついえたので、だったらもう一度サンライズに乗り、岡山で乗り継いで博多から10時半の便に乗ろうとか考えましたが、やはりこちらもダメ。というのも。
博多熊本高千穂延岡
0825----11441254
----91112211331
1025----13441454
----153118411951
1550----19092016
1750----21092216


なんだこの大減便。驚愕の運行本数です。という事で、愚直に1日掛けて高千穂に行きます。
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という事でもはや見慣れた新横浜駅。ここから博多までは5時間くらいです。
新幹線内では、特にこれと言ったことも無く、古事記を読んだり、ゲームしたり、飯を食ったりしながらのんびり過ごしていました。ので、写真はほとんどありません。
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ここで、高千穂が古事記的にどういう場所なのかを説明しますと、アマテラスとゆかいな仲間たちがかつて住んでいた場所であり、アメノオシホミミ(スサノオとアマテラスの誓約によって誕生した神)とニニギ(アマテラスの孫であり、アメノオシホミミの子)がこの地に降臨して(天孫降臨)神武天皇につながる歴史が始まる場所でもあるのです。
時系列でいうとアマテラスが高千穂に住む→アマテラスの親戚(大国主)が国家を平定して出雲に安住する→その後、ニニギがこの地に降る。で、神武天皇がなんやかんやあって奈良に安住し、今に至る。
ちなみに伊勢神宮は、第10代崇神天皇やら第11代垂仁天皇のころに疫病が流行った際、アマテラスのご神体である八咫鏡がこの地へ移されたというだけなんですねえ・・・。古事記的に言えば。

ちなみに家系図を軽く抜粋しますとこうなります。
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これを見ればわかるのですが、超ざっくりいうと、高千穂は伊勢神宮の聖地です。
そのわりには、伊勢神宮建立の事は古事記では軽く流され、しかしイザナミの尿から生まれたワクムスビの子、トヨウケについての記述については古事記にだけ載っていて、日本書紀には何も書かれていないらしいです。(トヨウケは天孫降臨で葦原中国にあまくだって、その後伊勢に住んでいます)
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気づいたら新幹線は関門海峡を越え、九州は博多の地を踏んでいました。はやい。九州は修学旅行以来なので軽くテンションが上がっています。もっと余裕があったら博多の太宰府天満宮とか、箱崎神宮とか、八幡製鉄所とか、色々見て回っていたと思います。

さて、バスの時間までかなり時間があるので、少し寄り道します。

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という事で、新幹線から「新幹線」を乗り継いで、博多南駅を目指します。
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マルス券ではなく近距離切符なのはまあどうでもいいのですが、特急料金はたったの100円。

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わずか8分ほどで博多南駅に到着。違和感マシマシな博多南線はどこからどう見ても新幹線なわけなのですが、どちらかと言えば新幹線車両基地に回送するついでに、那賀川市の客を拾うために旅客もやってる路線です。距離が短いので時速200キロに達しないことから扱いとしては在来線で、そのため新幹線車両で走っていますが在来線特急扱いです。新在直通できるミニ新幹線とはまた違います。ガーラ湯沢もこんなんだった気がします。なお、博多南が通年運行に対してガーラは冬季のみの運行なので、乗車難易度がそこそこ高いです。
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その車両基地。夕ラッシュに備えるべく大量のN700が留置されていました。はい。
駅の近くには「元々かなり広い農地を抱える大地主だったけど、突然国鉄が新幹線車両基地を作りたいと言い出してね、当然嫌がったんだけどそれで国家が発展するんだから最終的に折れたよ。」みたいなことが書かれた石碑が立っていました。
駅前のマクドナルドでビッグマックを食って引き返し、博多に戻ってまいりました。
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で、バスターミナルで少し時間をつぶし、延岡行きのバスを待ちます。このバスもなかなか乗車時間が長く、大体3時間程度となります。遠い・・・。しかしどうやらこれでもマシになったようで、高速道路が開通するまでは4時間以上掛かっていたようです。そこから更に、九州中央自動車道の一部開通でもう少し時間が短縮されたらしい。
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そして目的のバスが到着。博多から乗車したのは大体7人程度。金曜日の午後という事で、かなり空いていました。これで3時間ほど揺られれば高千穂、なのはいいとして、マジで昼を丸ごと潰して移動しています。夜の間に移動できるってだけで相当楽だったんだなあと感じます。
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途中の北熊本SAで休憩。すでに疲れています。
その後は高速道路を降りて山間部に入り、山道とは言え主要な国道なのでかなり整備されているようで、ワインディングではあるものの揺れは少なかったのが救い。で、ようやく。
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高千穂バスセンターに到着。夜神楽を見に行くつもりでは居たんですが、疫病によってちょうど休止中でした。その休止期間が3月10日までという事で、ものすごくもったいないことをした。観光協会のサイトに色々と書いていたので知っていたんですが、改めて現地で最新情報を確かめたらやっぱり休止中でした。ある意味最大のイベントが潰れました。
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高千穂でお世話になる宿は簡単な朝食が提供されるB&B形式の宿、浮雲です。
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そして宿泊する部屋はこんな感じ。風呂トイレ付きの部屋を予約したのもあってチェックイン即入浴できたり、部屋が広々使えたりと、かなり快適でした。
ちなみに疫病でめし屋というめし屋が軒並み時短営業をしていて、ディナー営業などどこの店もやっておらず。近くの酒店でパンと酒を買って、共用スペースを借りてこれを晩飯としました。

ちなみに酒店に日本酒が並んでないのを店員に訊いたところ、なんと宮崎県内には日本酒の酒造が2軒しか存在していないそうです。その一方で焼酎はよく飲まれるので、高千穂だけでも5軒も焼酎の酒造が存在します。
そんな関東とはまるで違う文化を肴に酒を飲んで、明日高千穂をじっくり観光します。




では。
自己紹介

金音ニトロ

音響や旅行が好きな、ありふれたホモサピエンスの端くれ。多摩県八王子市北野区から茨城県の某所へ。地理や地図、天文と言語も好き。元ごちうさ難民。

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