どうも、金音ニトロです。

出雲大社前駅に戻ってきました。デハニ50を取りこぼしていたので、軽く紹介します。出雲大社駅に戻ってきて良かった。
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デハニ:電車のデ、イロハ(三等車)のハ、荷物車のニ 50ということで、チッキ(新聞や小荷物など)の輸送も兼ねていました。
登場は昭和5年と古く、車内は木造で、溶接技術が乏しかったことからリベットを多用したり、今では見られない車両となっています。さすがにあまりにも古すぎるので、静態保存にとどまっています。

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車内は怒涛のオールロングシート。サロンカーとか二等車では向かい合って話せるようにロングになっているのもあったらしいですが、これはさすがに輸送力重視のロングでしょうね。のわりに、つり革なんてものは無いんだ。撤去してしまったのでしょうか?もしくは初めからなかったか






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3回目の川跡駅を通過し、一畑口駅に到着。一畑薬師の最寄り駅ですが、一畑薬師からは3キロ程離れています。

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じつはこの一畑口駅、先に出雲市~平田~一畑が完成し、のちに一畑~松江と川跡~出雲大社が完成した影響で、一畑口駅はスイッチバック駅となっています。左が松江方面、右が出雲方面です。交換可能駅ですが、列車の交換待ちは行いませんでした。


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中途半端なところで線路が途切れていますが、これは戦前はしっかりと一畑薬師の目の前まで線路が通っていたためです。一畑口~一畑の間が1944年に休止、1960年に廃止されたため、このような形になっています。

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一畑口の駅舎は実に味のあるつくりで、しかも石州瓦が使われています。

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一畑駅までの鉄道亡き今、一畑口駅から一畑薬師へはバスで向かうのですが、そのバスは人口の少ない集落を通り、しかも本数は平日は1日7本、休日はわずかに1日3本です。この短距離バスに宛がわれるバスとはいったい?

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12時8分発のバスが到着。ふそう・キャンターバンの、俗に言う80条バスだとか、自主運行バスだとか、有償運送車両だとか言うやつです。

本来事業自動車につけられるナンバープレートは緑のはずですが、このバスは白色。一見違法に見えるバスですが、道路運送法「80条」を適用することで、公共の福祉を満たすために特別に有償での運送が許可されるわけです。

バスとは本来「旅客営業を行う車」なので、「緑色のナンバープレート」が取り付けられるべきで、その運転手はバスを運行するために第二種運転免許が必要です。
しかし一畑薬師に行くこれは、「バス事業者」ではなく、「出雲市が自主的にやってる」だけなので、厳密に言えばバスではないです。「バス」ではないので、運転手は二種免許は必要ありません。どちらかと言えばデイサービスやらスーパー銭湯やらの送迎サービスなんかと同じタイプのやつです。ちなみに乗客が支払う「運賃」は、おそらく「出雲市の税収」として扱われるのだとおもいます。

バスではないので、時刻表の設定義務はないですが、生活の足たらしめるために、時刻表を「自主的に」つけています。この「バス」の「運賃」は1乗車あたり200円でした。80条バスに乗るのは井川以来で、まさかまた乗れるとは思わなかった。

ところでウィキペディアの80条バス、21条バス(自治体やバス会社などがどこかに委託してる形式のバス)の代表例が水窪を結ぶ北遠本線で、80条バス(廃止代替バス・自治体の自主運行バス)の代表例が井川地区自主運行バスと、どちらも静岡県の山奥を走るロングラン路線なの面白すぎるでしょ。それともウィキペディアの編集者はあえてそろえたのでしょうか。

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車内は完全にマイクロバス仕様で、乗客は合計2人。その2人とも一畑薬師へ観光する人間でした。うーん、この。出雲市生活バスが完全に観光客輸送車と化してしまっている。井川の時もそうだったけれど、こんな調子で日本の末端の公共交通は大丈夫なのだろうか?






では。